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1億の脚線美『マレーネ・ディートリヒ』生誕をGoogleロゴで祝う!!

更新日:

本日2017年12月27日のGoogleロゴが変わっていますね!

なんでもマレーネ・ディートリヒさんという方だそうです。

1億の脚線美と呼ばれているマレーネ・ディートリヒさん、果たしてどんな方なのでしょうか?

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Googleロゴのモデルになっているマレーネ・ディートリヒさんって誰?どんな人?

名前 マレーネ・ディートリヒ
生年月日 1901年12月27日
1992年5月6日
出生地 ドイツ帝国(ベルリン)
職業 女優、歌手

マレーネ・ディートリヒさんはドイツ出身の有名な歌手でもあり女優でもあります。

ハリウッド映画にも出演をしたりと超有名な方です。

顔立ちもとても綺麗で歌手・女優というぴったりの職業のような気がします。

しかし、そんなマレーネ・ディートリヒさんですが最初から成功していたわけではありません!

苦労や不運を重ねて成功を収めることになります。

そして、女優・歌手活動だけでなく政治的活動も行い、高い人気を誇っていたんですね。

マレーネ・ディートリヒさんの生い立ち

1901年にベルリンにて生まれます。

幼い頃に父が病気で亡くなります。そのあとの継父も第一次世界大戦で戦士をしてしまいます。

その頃に生活費を稼ぐために酒場などで歌を披露していました。

18歳の時にはフランス語を独学で学び、国立ヴァイマル音楽学校に入り、ヴァイオリニストを目指すことになります。

しかし・・・手首を痛め音楽家の道を断念することになるんですね。

不幸に不幸を重ねるというわけです。

その後、二十歳の時にマックス。ラインハルト演劇学校に入学を決意することになります。

映画デビューは『ナポレオンの弟』です。

23歳の時に助監督の方と結婚をします。

結婚も若くしてされることになります。

その年の12月に子供もさずりますが、夫とは別居生活もスタートすることになります。

29歳の時に転機が訪れます。

ベルリンの舞台に立っていた頃に有名映画監督に認められドイツ映画最初期トーキー『嘆きの天使』への出演が決定することになるんですね。

その映画をきっかけにマレーネ・ディートリヒさんのセクシーな身体と歌声で国際的に有名になることになるんですね。

29歳の時にアメリカにも渡ります。

『モロッコ』という映画でハリウッドデビューも果たします。

上記の写真が映画のポスターです。

当時のポスターはようやくカラーになったという時代です。

すごいところがこのハリウッドデビューで、アカデミー主演女優賞にノミネートされたんですね。

これをきっかけに『上海特急』という映画でスターの座を確立することになります。

『上海特急』の映画が上記です。

しかし、34歳の時に出演をした映画『西班牙狂想曲』という映画がヒットしなかったことをきっかけに当時名コンビとして知れ渡っていたスタンバーグ監督との公私にわたる関係を解消します。

そして、女優としての低迷の時期を迎えることになるんですね。

そこであの有名なドイツの指導者ヒトラーが登場をします!

ヒトラーはマレーネ・ディートリヒさんの事が大のお気に入りでした。

それもそうですよね。

写真を見てもわかりますがとんでもなく綺麗なお方です。

マレーネ・ディートリヒさんに『ドイツに戻ってきてほしい!』と説得をします。

しかし、ナチスを嫌ったマレーネ・ディートリヒさんはそれを断ります。

マレーネ・ディートリヒさんは相当当時のドイツが嫌いだったそうです。

そしてアメリカの市民権を獲得する事になります。

そんな事をきっかけにドイツでは『マレーネ・ディートリヒの映画上映禁止!!』となるわけです。

これはとてもひどい話です。

しかし、独裁政治のヒトラーはやりかねないです。

マレーネ・ディートリヒさんは30代後半から西部劇やブロードウェイを中心に活躍をしていきます。

その頃当時有名俳優のジャン・ギャバンさんも渡米しマレーネ・ディートリヒさんと交際をスタートします。

この方ですが、マレーネ・ディートリヒさんの3つ年下の方になります。

かなりのイケメンですので美男美女のカップルと言えますね!

42歳の時は第二次世界大戦中で、USO(前線兵士慰問期間)の一員として活動を開始します。

この期間は最大団員数50万人も超えるほどの大きい団体なんですね。

どんな団員かというと、いわゆる反ナチスの立場にある組織というわけです。

こういった政治活動にも積極的に参加をしてわけなんですね。

それらを理由にマレーネ・ディートリヒさんはアメリカ市民として最高の栄誉でもある大統領自由勲章、フランスからはレジオンドヌール勲章を授与されることになります。

年齢も42歳ということで決して若い年齢とは言えないなか女優活動を縮小傾向になっていきます。

若い女優の方がどんどん登場していくというのも一つです。

しかし、40歳後半からはラスベガスでのリサイタル依頼があったりと歌手として成功をおさめます。

その後歌手としての活動をアメリカ、ヨーロッパに広げていき、グラミー賞受賞もしているバート・バカラックと組むことになります。

69歳の時と73歳の時にはなんと大阪万博に来日してコンサートもされているんですね。

その後ジャン・ギャバンや夫を立て続けに亡くします。

74歳の時にはコンサート中に足を骨折することになり引退を決意します。

引退してからもファンレターが届きに届き不動の人気は続きました。

しかし、引退後は謎に包まれたままだそうです。

90歳でマレーネ・ディートリヒさんはパリの自宅にて肝臓と腎臓障害を理由にこの世を立ち去ることになります。

遺骨はマレーネ・ディートリヒさんの望みに従いベルリンの母の墓の横に葬られたそうです。

その広場も『マレーネ・ディートリヒ広場』と命名されたそうです。

死後ではございますが、ベルリンの名誉市民も授与されました。

法を破るほど自分のスタイルを貫くマレーネ・ディートリヒさん

伝説の女優とも呼ばれているマレーネ・ディートリヒさんですが、すごいのは彼女の自分のスタイルを貫くその意思です。

マレーネ・ディートリヒさんは歌手・女優としてもそうですが、ファッションでも有名でした。

その型破りな行動は有名だったと言われています。

その中の1つの話として…

映画『モロッコ』では、歌手である女性が外人部隊に所属をして、男性と恋に落ちていくというストーリーなのですが、その中でマレーネ・ディートリヒさんは、タキシードを着、シルクハットを被り、さらには葉巻を持つなどの格好で女性にキスをする演技を行いました。

まさにこの格好は有名で、現代からすると正直そこまでめずらしくはないかもしれません。

宝塚のように男性のような格好をして舞台に上がる事もありますので。

しかし、この映画は当時1930年代です。

女性が男性の服装をするなんて想像もしなかった時代なので、このタキシード姿は世界に衝撃を与えた格好だったんですね。

さらには、このズボンスタイルですが、実は2013年までパリでは女性がズボンを着用することは条例違反だったんですね。

なので、当時アメリカからパリに向かっていたマレーネ・ディートリヒさんですが、パリに入国する際に警察官からズボンを履いてることにより逮捕されそうになります。

しかし、マレーネ・ディートリヒさんはズボンを着用することをやめなかったそうです。

ちなみにマレーネ・ディートリヒさんはこんなコメントを残しています。

『私は自分のイメージのために着飾っているのであって、自分のパブリック、ファション、男性のために着飾っているのではありません』

と。

とことん自分のイメージ、アイデンティティーが強い方だったということがわかります。

マレーネ・ディートリヒさんの名言集

マレーネ・ディートリヒさんの名言をまとめました。

『愛とは、愛することを楽しむこと、愛されることを待つことではない。』

自分から愛することにより、より価値があるといった意味でしょう。

『不平が出るようになれば愛はおしまい。』

不平⇒不満、本当に心の底から愛していれば不満なんて出てこないはず、といった意味に聞こえます。

『どんな用件でも午前4時に呼び出せるのが親友です。』

午前4時に起きている人なんてそうそういないですよね。その時間に呼び出されたら普通不満が出ます。

でもそんな時だからこそ来てくれる友達はまさに親友と呼ばれるでしょう。

『多くの女は男を変えようとする。そして変える事に成功するとその男が好きでなくなる』

『綺麗な足でいたかったら、男達の視線を足にさらしなさい』

『念入りに手入れをすれば、20歳は、年をごまかせるかもしれないわ。』

『敗者は灰となって消えてしまう。勝者は炭となって残る。』

『女はみんな貞漵でいたいと思っているのよ。ただそうしたくなる男がなかなか見つからないだけ。』

『私はドイツ人です。だからあのような恐るべきことを引き起こした国(ナチス・ドイツ)と和解することは御免被りたいのです。』

『私は愛情を望む。これはマレーネ・ディートリヒである。』

マレーネ・ディートリヒさん・1億の脚線美がすごい!!写真集・画像まとめ

これは映画『モロッコ』の時の写真です。

男装をしている事で話題になった写真ですね。

シルクハットから始まるその格好よさは、『ハンサムで良い女』として評判をあげた。

写真の解像度から少しわかりづらいかもしれませんが、それでもとても綺麗な脚だという事がわかります。

もっとわかりやすい写真はこちらです。

これは相当脚がが長いです。

まさに『1億の脚線美』です!とにかく膝下が長いですね。

マレーネ・ディートリヒさんの写真はたくさんあります。

その写真どれもがほとんど笑顔がないんですね!

もちろん仕事として写真に写っているからなのですが、マレーネ・ディートリヒさんがどういう演技をしていたのかも想像ができます。

強気なイメージが強いですね。

前述でも記載しましたが、『自分のイメージ』を大切にしている方なのですね。

マレーネ・ディートリヒさんがGoogleロゴトップに変わっている国!なぜ日本も?

たくさんの国々でGoogleのロゴが変わっています。

なぜ日本も変わっているのかというと、前述で記載しましたが、大阪・万博公園にマレーネ・ディートリヒさんがコンサートで2回来日したからなんですね。

なので、アメリカ、ドイツを中心にそのほかにも行ったことがある国としてGoogleのロゴが変わっています。

マレーネ・ディートリヒさんについてまとめ

マレーネ・ディートリヒさんについて記載してきましたがいかがでしたでしょうか。

彼女のことを知らない方も多かったかもしれませんが、現代に彼女のような方がいたら絶対に有名になっていましたよね。

まさに現代のマドンナといっても良いのではないでしょうか。

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