皆さん…
- 稼ぐと盗むの違いが説明できますか?
- 貰うと盗むの違いが説明できますか?
いざ説明しろと言われるとなかなか難しいのではないでしょうか。それは私達がお金についてちゃんと考えてこなかったからかもしれません。
日本には多少薄れたとはいえ「お金は汚いもの」「金に執着するのは卑しい」といった偏見が根強くあります。経済や金融の話はややこしそうだからご遠慮願いたい、そういう人も少なくないように思います。
でも、お金の話っていうのは汚くもなければ実はそう難しくもなく、何より面白いんです。大人の方には経済を見つめ直すきっかけに、若い人たちにとってはお金の不思議さや働くことの意味を考える入り口になる、そんなお金に関する書籍を要約して本日ご紹介します。
本日紹介する本は高井浩章さんの「お金の教室」「お金と経済」について小説形式でわかりやすく解説されている本になります。
本書を読むことで事前知識のない状態の人でもお金とは何かということを考えられるようになり、今まではなんとなくでしかわかんなかった、経済ニュース、ビジネスニュースがなるほどなと腑に落ちながらしっかりと理解しながら見ることができるようになります。
また、単純な読み物としても面白い小説になっています。
稼ぐと盗むの違いは何か?
さて皆さんは稼ぐと盗むの違いを問われた時、答えられるでしょうか。
もちろん明らかに違う言葉ではあるのですが、その境界線というのは意外と難しいものなんです。
例えば、
- 高利貸しはお金を稼いでいるのでしょうか?それともに盗んでいるのでしょうか?
- 政治家はお金を稼いでいるのでしょうか?それともに盗んでいるのでしょうか?
職業として仕事をして稼いでいるんだから"お金を稼ぐ"なのではないかと思われるかもしれませんが、税金泥棒なんていう言われ方もしますよね。稼ぐと盗むの違いをはっきりと言えないのは自分の中でそれぞれの定義付けがしっかりとなされていないからなんですね。
稼ぐ=人の役に立つ仕事、盗む=人の役に立たない仕事、と定義づけしましょう。そうすると考えが少し良い感じになります。
つまり人の役に立つとはどういうことなのか、これを考えることで稼ぐと盗むの区別ができるようになるということなんですね。
まずこのことを考える上で一つの職業を例に出して考えてみましょう。
その職業は銀行家です。
わざわざ銀行家というちょっと古めかしい言葉を使ったのは英語のバンカーにあたる職業をイメージしているからです。高度で専門的な金融業になっている人々、名前からして音楽家とか芸術家とかあるいは政治家みたいでちょっと偉そうな人々。
さてその銀行家、あるいは銀行というビジネスは世の中の役に立っていますでしょうか。
本書では一つ目の回答として"預金しておけば泥棒の心配がなくて安全だし、みんなから集めたお金を会社や住宅ローンみたいに貸すのも銀行の大事な役割だから役に立っている。"
という答えが挙げられています。
お金が余っている人と足りない人の間にたち、お金をうまく流すのが銀行の仕事であり、銀行家は極めて重要な仕事です。なかったら世の中が全く回らないぐらいの重要なんです、と述べています。
しかし、だからといって銀行のやることが全部役に立っているとは限らないとも言うんです。
そして、銀行家が役に立たなかったときの例としてリーマンショックをあげているんですね。リーマンショックについて簡単に説明しておきます。
リーマンショックとは?
2008年にリーマンブラザーズという名門銀行が潰れました。誰もそんな大銀行が破綻すると思っていなかったから次はどこだとパニックが広がり銀行同士のお金の貸し借りが止まって金融システム全体が機能不全に陥りました。
これがリーマンショックです。
でも、変だと思いますが世の中の役に立つはずの銀行が突然潰れる、しかも名門中の名門の大銀行が。
なぜそんなことが起きたんでしょうか。
根本にあったのは、リーマンや他の大銀行が所得の低い人たちに自力で返せない金額の住宅ローンをたくさん貸したことだったんです。
住宅の値段が上がっているうちは問題がなかったのですが、そんな無理な融資を垂れ流す状態が長持ちするはずがありません。住宅価格が下がり出したらローンを返済できない人が急増しました。
さらに欧米の大銀行は無理にお金を貸すだけじゃなく、さらにひどいことを行いました。
証券化という特殊な手法です。
この手法を使って自分たちの負うべき責任を世界中のいろんな投資家にばらまいていたんですね。証券化というのはお金を貸したという取引自体を別の銀行や投資家に売り払ってしまう高度なテクニックなんです。
複雑な仕組みやテクニック自体が問題なのではなく本当の問題は貸したお金を責任を持って返してもらうのが銀行の本業なのに、予報せずに他人に貸倒のリスクを押し付けた事なんです。
もちろん証券化商品を買った方にも責任はあります。目先の利益に目がくらんで中身もわからないものに手を出したわけですから。
しかし、それを差し引いたとしても無謀な住宅ローンを証券化してバラ撒いたこの銀行の責任は重たいんですね。
欧米の住宅価格が異常に上がり続けたバブルだった数年間こうした不健全な取引が爆発的に増えました。
その結果、世界中に本当の価値がいくらなのか、誰にもわからないゴミのようなものが何十兆円も積み上がってしまったんです。
そしてある日、その積み重ねがドカンときた。それがリーマンショックなんです。
つまり、銀行は破綻してもおかしくない制度を世界中に広めた結果、実際に破綻が起こってしまいリーマンショックが起こったということなんです。
さて、これを踏まえてさらに考えて欲しいことがあります。それはなぜ優秀な銀行家たちがそんな馬鹿な真似をしたのか、ということなんです。
銀行が破綻してしまうようなお取引を優秀な銀行家達が行っていた、これは事実なんです。銀行家の中には本気で「自分たちの仕事は素晴らしい」、「新技術だ」と思っていた人もいましたが、そういう「輩はただの間抜けだ」と本書では書かれています。
そして、本当に優秀な人はこんなこといつか破綻するよ、と分かっていながらやっていたんだという風に述べているんですね。
そして、その理由は儲かるからというわけです。
銀行ではなく、銀行家本人がです。銀行が潰れようとどうなろうと関係ないです。その前にたんまりとボーナスをもらえば、例えばアメリカの某銀行のトップはリーマンショック直前に数10億円のボーナスをもらっています。
信じられない光景ですがそれ以上に会社を儲けさせているからオッケーだとか、そういう理屈なんですね。
さてリーマンショックについて簡単にまとめておきましょう。
世界屈指の優秀な人材を集めた銀行が潰れた。その連中は詐欺まがいの仕事をやっていたからこそ潰れる前の数年間は信じられないような報酬を手にしていた。
そして、ここからさらにひどい話になります。
リーマンブラザーズが破綻した時、世界中でお金の大渋滞が起きました。
自信暗鬼になった銀行同士がお金を融通しあうのをやめてしまったわけです。
企業や個人も銀行からお金を借りることができなくなってしまった。
それで世界は恐慌の一歩手前まで行ったわけですが、それはギリギリで回避することができたんです。何故でしょうか。それは国が「銀行の借金を肩代わりするよ」と、そういう宣言を出し危ない銀行に資本を入れて金融システムを支えたからなんですね。
危機一髪、かつ一件落着。
世界各国はよくやったと言いたいところなんですが、ここにさらに問題があるんです。国、あるいは政府のお金というのは突き詰めると誰のお金でしょうか。
国民のお金ですよね、つまり銀行が連鎖破綻したら世界が大打撃を受ける。だから国は銀行を作った納税者負担でということになります。
- まとめてしまえば一部の銀行家は他人のお金で派手なギャンブルをやっていた。
- 買った時だけ自分が大儲けして負けたら納税者にそのツケを回すそういう美味しいゲームをやっていた。
無論、全ての銀行、全ての銀行家がそうだと言っているわけではないんです。大部分の銀行家は世のため人のためお金を回す、という銀行の本分に真面目に取り組んでいるんです。
でも、一部の連中は突き詰めると他人のふんどしで相撲を取って甘い汁を吸っていた。
そういった連中はたくさんのお金を稼いでボーナスをたくさんともらっている。そこにリーマンショックのような危機が来て、金融市場がパニックに陥る。マーケットは恐ろしいものでひとたび荒れると人間の力ではパニックを簡単に収めることはできません。
その時、その連中はこのままでは世界恐慌になりますよ、と政府や国民を脅すんです。
我々を助けた方が結果的に安上がりですよ、と言い募るんです。無茶な話ですが、それ以外に策がないんです。
そして見事、世間様のサポートを得て生き残る、そういった構図ができているんですね。
さて、ここまでの話を聞いてこの銀行家は役に立つ仕事と言えるでしょうか。言えないと思う人が多いと思いますが、その理由についても深く探っていきましょう。
私たちの生きている社会は資本主義という仕組みを採用しています。その最も大事な土台は社会に貢献した企業や人が正当な評価を受けるということです。
役に立つ発明やサービスを提供する会社、まともに働く人たちが世界の富を増やす、だからこそ企業や人々はその貢献度に応じてその報酬を得る。この世の中のために役に立った人はちゃんと報われるという仕組みが経済の決定的に重要な展示になっているんです。
この仕組みを根幹から支えるのが市場なんですね。それゆえ我々の経済システムは市場経済とも呼ばれています。売り手と買い手が出会って、物やサービスについて値段の折り合いをつける場所、それが市場です。
先ほどのような銀行家はこの市場経済の根っこを腐らせてしまいます。長い目で見れば社会に害毒を与えてしまった連中が分け前をかっさらっていくからなんです。
富の分配が歪めば経済の効率は落ちるし、不平等感や不満も高まり社会全体の信頼が損なわれてしまいます。つまり彼らは経済を殺す病原菌と言えるんです。だからこそ役に立たない仕事をしていることだとも言えるんです。
- 稼ぐと盗むの違いは何か?
それは世の中に役に立つかどうかであり、長期的に見て社会に害を与えるような形でお金を稼いでいる仕事は盗む仕事であるということ。
稼ぐと貰うの違いは何か?
ここからは稼ぐと貰うの違いは何か、について考えていきたいと思います。
そのためにまず前置きとして、国内総生産いわゆる"GDP"について解説しておきます.
GDPは簡単に言うと、ある国の中で作られた物とサービスを全部合わせたものです。電車やバス、ホテル、宅急便などなど、誰かがお金を払って物やサービスを買うとGDPになるんです。つまり人々が物やサービスを前よりたくさん産み出せばGDPは増えていくんですね。
これが経済成長です。
さらにGDPは、
一人当たりGDP×総人口 = GDP
と分解することができます。
この式から言えばGDPというのは、
- 一人一人が作る物やサービスを増やすか
- 人口が増えるか
によって増えるかがわかります。
言い換えれば一人一人が生み出す富が増えるか、人口が増えれば世界が豊かになるということなんですね。
ここで一人一人の生み出す富が増えるという点に着目すると、稼ぐというのは一人一人が生み出す富を増やす行為、つまり一人当たりのGDP以上に価値を生み出している人になります。
一方で貰う人というのは一人当たりGDP以下の価値を生み出している人ということになります。このように定義すると世の中の多くの人は貰う人に分類されるということがわかります。
例えば、生活保護の人というのは貰う人のわかりやすい例でしょう。そしてそれは悪いことではないんです。この考え方は富を生み出す、お金を増やすという観点から切り分けたものであり、稼ぐが貰うより偉いわけではありません。誰が富を増やすか、今はそろばん勘定だけで世界を乱暴に切って考えるとこうなるということなんです。
では何が悪いことをなのか。それが盗む人なんです。
貰う人も盗む人もGDPを下げる働きがありますが、この二人の一番の差は好意があるかどうかなんです。
例えば、母親の財布から1,000円盗む行為、これは盗む人であり悪ですが、母親におねだりして1,000円を貰えばもらう人になります。
結果として母親の財布から1,000円減るということ自体は同じです。しかし、盗むと貰うの本質的な違いは経済にプラスかマイナスかといった物差しではなく合意の有無だということなんですね。
生活保護の場合で言うなら正当な受給者が貰う、不正受給者が盗むに値します。
この考え方は稼ぐと盗むでも同様です。高利貸しの場合でもお互いにきちんと契約を理解し納得した上で返済能力があることも確認し、法律の範囲内で利子で貸付をする、これは稼ぐ人であったり貰う人だったりするんですが、相手がお金がなくて判断力が鈍っている所に返済できないような高利で貸付する高利貸しの場合は盗む人になってしまいます。
経済にプラスかマイナスかという判断軸、そして理性の伴った合意があるかないかという判断です。
この二つが稼ぐと貰うと盗むを分けるものになるということを押さえていただきたいと思います。
お金持ちはずるいのか?
お金を手に入れる3つの基本的な方法が稼ぐ・貰う・盗む。
稼ぐは世の中がより豊かになるように多くの富を生み出すという意味です。
ただし、単にたくさんお金を儲けても稼ぐにはならない。誰かを犠牲にして大儲けするのは盗みに入るんです。
公園を例えに説明するなら、自分が来る前よりも公園をきれいにする人、つまり生まれる前よりも世の中を豊かにする人が稼ぐです。
わざと公園を汚したり富を横取りするのが盗む人です。
では貰うわ何か一番簡単なのは稼ぐでも盗むでもない人。これが貰うに入るという分類です。
稼ぐほど富は産まない、警察官や消防士といったお金儲けには直接つながらないけど大事な仕事をする人、障害者のように社会が支えるべき人、こうした様々な人が入る大きなグループが貰う人というグループです。
公園をより綺麗にする人と自分の周りは掃除できる人、掃除は苦手だけど公園を使うことをみんなが認めている人。
色々な人が存在しますが、そこに優劣はありません。
稼ぐや貰うは単にお金儲けの甘さを基準にしたもので、稼ぐから偉いわけではなく人それぞれが自分の役割を果たす、持ち場を守ることが何より大切なんです。
その上でお金を正しく稼ぎお金持ちになった人はずるいのか、これについて考えたいと思います。
まず大前提として富の増大に人並み以上に貢献することが稼ぐであり、お金持ちが行う株式や不動産などの投資はそのリスクを引き受けることも含め紛れもなく富の増大に貢献する素晴らしいことです。
しかし、多くの人がお金持ちをずるいと捉えたり、モヤモヤした気持ちを抱えることになるのは経済的な不平等貧富の格差が隠れているからなんですね。
というのも株式や不動産への投資、この稼ぐにつながる道は十分な元手を思っている人、つまりある程度のお金持ちにしか開かれていないからなんです。
- r>g(アールダイナリージー)
こちらの式を皆さんはご存知でしょうか。
これはピケティという経済格差が示した不等式です。
彼の衝撃的な仮説は世界中で大論争を引き起こしました。その確信がこの式なんです。rは資本収益率株式や不動産への投資リターンを進めています。
gはグロースの頭文字で経済成長率です。
ピケティはいろんな国のデータを調べて長い目で見ると経済全体の成長よりも投資で儲かるペースの方が早いんだ、という主張をしたんです。
つまり投資ができるほどのお金持ちは、どんどんお金持ちになってしまうということです。一旦投資に回せる余裕を手にしたお金持ちは富をどんどん蓄積できる複利マジックによって資産が雪だるま式に増えていく。一方で、元手のない庶民にはその道は閉ざされてしまっている。
平均的な人には平均的な経済成長程度の恩恵しか望めない。その結果、貧富の格差はどんどん広がってしまう。ピケティはこれは今の市場経済の構造的な欠陥であり、放っておいたら解決できない、という風に主張しているんです。
これ以外にも貧富の差を拡大している要因、これが二つあります。
それは相続税とオフショアです。
まず相続税に関してですが日本の相続税の最高税率は55%です。お金持ちが正直に申告すると遺産を半分持っていかれる計算になります。
かつては最高税率75%で3代で財産は無くなる、という風に言われていました。実際は色々な節税テクニックがあって先祖代々の資産を脈々と受け継いでいるお金持っていうのはいますが、日本は相続税が比較的高く、おまけに社長や役員の給料が割と低い国なんですね。
貧富の差で見ると最近は少々雲行きが怪しいんですが、世界の中でも優等生格差の比較的少ない国だとも言えます。
一方で世界には相続税がゼロという国がいくつもあるんです。有名どころではシンガポール、香港、スイスあたりがそうです。マイナーな国だと、モナコ、オーストラリア、マレーシアも相続税はございません。
相続税というのは当然お金持ちに人気がないです。お金持ちは政治を握るエリート層と繋がっている。どの国でもよほどのことがないと高い相続税が導入されるということはないんです。
その結果、格差は世代を超えて温存される。お金持ちの子供に生まれたら生活、教育、コネ、ビジネスの元手など、あらゆる面で恵まれています。相当のヘマをしない限り、次の代もその次落ちこぼれることはありません。
逆に庶民はどこかで一発当てないと富裕層に食い込むことはできません。
つまり人生のスタート時点で差が付いてしまい、庶民はほとんど追いつけないという問題があるんです。
次はもう一つの要因オフショアについてです。
オフショアは税金や法律から逃れるおとぎの国のような場所のことです。タックスヘイブンとも呼ばれています。(租税回避地)
税金から逃れられる場所をという意味です。
オフショアに資産を隠すと誰も追跡できません。そこには税金を払いたくない大金持ちだったり麻薬や武器の密売で荒稼ぎした犯罪者、南米やアフリカ、中東アジア、ロシアなど国の富を私物化した世界中の独裁者や悪党、様々なダークマネー、ダーティマネーが流れ込んでいるんです。
行方不明になった汚いお金は何百兆円とも何千兆円とも言われています。日本のGDPが大体約500兆円。日本人の金融資産全体が一千数百兆円ほどです。
それに匹敵するか、上回るお金が捜査当局などの手を逃れて隠れ家に逃げ込んでいるんです。何故こんなインチキを放置しているんでしょうか。
それに応えるためには少し歴史に触れる必要があります。そもそもオフショアという仕組みはイギリスで生まれたとも言われています。生まれた理由は世界中からお金を集めるためです。ロンドンはニューヨークと並ぶ世界最大の金融センターであり、世界中の投資家や銀行、企業がそこでお金のやり取りをしています。
それを陰で支えているのがオフショアという極めて胡散臭い仕組みなんです。このオフィスはという怪物は半世紀ほど前から急成長しました昔からお金持ちは独裁者が資産を隠し場所っていうのはあったんです。
スイスの銀行なんかが有名でしょう。でも、いつ頃からかまともな企業や普通の金融の世界にもガッシリとオフショアが居座ってしまったんです。初めは小さな不正の温床だったオフショア、今や世界各国の政府が束になっても退治できない化け物に育ってしまいました。
世界中に様々なオフショアがあって個別撃破してもイタチごっこになってしまう。追いかける政治家たちが本気でやっていないというところもあるでしょう。自分や仲間の首を絞めかねないからです。
ロンドンの金融街からお金が逃げたらイギリスという国が傾くほどの打撃です。金の卵を産むガチョウを締め殺そうなんて誰も思わないですよね。
さらにタックスヘイブンを利用した節税は世界的な大企業も行なっているんです。
そうした企業がちゃんと納税しなければ道路や橋、水道や鉄道などの社会インフラだけでなく教育や医療の質も劣化していくんです。税収不足のツケ払いはオフショアと無関係の無縁の庶民に回ってくるから2重にも2重にも持たざる者の負担が増えてしまっているんです。
ですから、私たちはこの問題に対して真剣に解決策を考える必要があるんです。やるべきことはとてもシンプルでクリアです。隠れ家を全部潰してお金持や企業から適切な税金を取って富の分配のバランスを修正する。
ただ、その実行がとても難しいんです。問題の大きさと取り組む主体のスケールがずれているからなんです。オフショア退治には世界的な強調が欠かせませんが、抜け駆けしてマネーを独り占めする誘惑が強すぎて足並みが揃わないんです。
相続税を含む税制の見直しも同様です。低税率を餌にマネーを呼び込もうとする国が少なくないんです。
一国単位では対策に限界があり、もちろん少しずつ是正する動きっていうのはあります。企業の極端な税逃れの摘発だったり、オフショア利用の制限といった対処法です。
日本でもタックスヘイブン対策税制というものがあるのをご存知な方もいるかもしれません。
でもこういった方法は本質的な解決とは程遠いと言わざるを得ないのが現状なんです。
こういったことが格差を生みお金持ちはつらいという感覚を引き起こしてしまっているんです。今世界中で起きている政治的な混乱の根っこをたどっていくと、多くがこの格差問題に着きます。
上位1%のエリートが富を独占して残り99%の人々が犠牲になっているというスローガンが豊かな国でも魅力的に響くいびつな社会を作ってしまったんです。
これから先お金持ちになる人にぜひ知っておいて頂きたい考え方です。
ノブレス・オブリージュ
最後にノブレス・オブリージョという考えを紹介します。
ノブレス・オブリージュは恵まれた上流階級には人類全体に奉仕する義務があるという考え方です。
かつてはそうした美学よくあったんです。第1次大戦では多くの王臣の貴族の若者が前線への出征を志願して命を落としています。日本にも"武士は食わねど高楊枝"という言葉があります。
ニュアンスが違いますが金に執着せず名誉を重んじよ、という価値観は通底しているものがあります。
是非お金に目がくらんでしまった時はこの言葉を思い出していただきたいと思ってます。