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【5分で読める本要約】苫米地英人|「日本」を捨てよ
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あなたは自分の生まれたこの国が今の日本が好きでしょうか。

概ねの日本中は自分の国があまり好きではない少なくとも積極的に好きとは言えないといった結果になるのが最近の主流です。

この20年ほどの間、日本人は閉塞感を感じ続けています。そんな私達に筆者は次のように言います。

「それならば日本を捨てよう」と。

今回は苫米地英人さんの"日本を捨てよう"を要約していきます。

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日本人が抱えている閉塞感の正体

本書のテーマはいわゆる日本論というものです。

なぜ日本人は、政治家や官僚に文句をいう割にはデモさえ起こさないのか、海外へ脱出しようとしないのか。

ここ数年若者たちの愛国心が強くなったように見えるのは気のせいか、私たちが抱える厄介な問題の背景にはこうした根本的な疑問が実は横たわっています。

それらを1つ1つ解決しようとする姿勢が目の前の閉塞感を打ち破って私たちが再び歩みを進めるための第一歩になるんです。

しかし、その前になぜ今の日本で多くの日本人が閉塞感を抱え、思考停止してしまっているのかという問題について理解しておかなければいけないのです。

さていきなりですが質問です。

「あなたは今の日本人閉塞感を感じているでしょうか?」

調査によるとこの20年ほどの間日本人は閉塞感を感じ続けているということが分かっております。

あなたもその一人ではないでしょうか。この20年ほどの間、日本人が感じ続けている閉塞感を考えると最近のあなたはどうしたらいいのかわからない、どうしようもない問題の数々を目の前にして次第に考える意欲を失いつつあるのではないでしょうか。

閉塞感とは考えることさえ止めてしまいたくなるような重たい無力感のことを指します。

今や日本人は自分たちの社会の差し迫った問題についてどうしたらいいかわからない、どうしようもないと思考を放棄してしまう癖を身につけてしまいました。

その理由は2つあるんだと筆者は言います。

まず自分の問題解決能力に自信がないこと。20年も続いた経済形態は日本人の自信をすっかりと失わせてしまいました。

自分自身の能力に対する自己評価のことを心理学ではエフィカシー、すなわち自己効力感と呼びます。分かりやすく言えば自分はこれだけのことができるという信念と言い換えてもいいでしょう。

問題に直面した時に人は無意識のうちに自己と対話します。この問題を「自分は解決することができるだろうか。」そうやって自問自答するんです。

この時、エフィカシーが低ければ問題は総体的に大きく、手に負えないものだと感じられてしまいます。日本人はまさに今そのような状態にあるのです。

結果として「どうせ自分が考えることなんて役に立たない」という諦めが日本人をすっかり呪縛してしまっているのです。

もう1つの理由は、本当に問題が難しくなっているということでございます。経済成長率が下がるとパイの取り合いが起きるのは避けられません。

実際に格差は拡大していますし、社会保障に関しても世代間の不平等が叫ばれております。つまり、同じ日本人の中で対立が覆い隠せなくなってきたのです。

こうしたシビアな利害の衝突をクリアにして、日本全体にとっての最適解を導き出すというのはいわゆる専門家であったとしても容易ではありません。

まして素人である一般国民が例えばTPP参加の是非について考えが及ばないのもある意味仕方がないことでしょう。

とはいえ私たちは仕方がないと言って済ませているわけにはいかないんです。どうしたらいいかわからない、どうしようもないと思考を放棄してしまっては政治家と官僚、そして声の大きな一部の人々に問題解決を委ねられたままです。

彼らに社会の舵を丸投げすることがどれほど危険か、私たちはバブル崩壊以来散々思い知らされてきたではありませんか。

何とかして、どうしたらいいかわからない、どうしようもないこの閉塞感を打ち破る国民一人一人が問題解決の主体となる必要があるのです。

そのためにまずは答えを出せるとこから出してみよう。これが本書のメッセージでございます。

答えや解決策と呼ばれるものは現場における仮設に過ぎません。しかし、仮設さえあればそれに従って行動してみることはできます。

まだ仮説を提示すれば批判も受けそれに反論しなければならない。そのプロセスで次のより良い過程も生まれてくるんです。

とにかく考え、自分なりの回答を出してみる作業、それだけで一歩前に進むことができるんです。

では、これから私たちはどうやって現状を変えてどのように生きていくのが良いのかということや、今の日本人がなぜ幸福を感じられないかということについて考えていきましょう。

未だに世界随一の経済大国であり一般的に言われるよりはるかに好調な経済状態にありながら、なぜ日本人はどことなく不幸なのか、その原因となっている社会構造を分析していきましょう。

そして、さらに話を展開していき日本人という枠組み自体から脱却する発想、すなわち日本を捨てる技術などについても解説して行くことにいたします。

まとめ
  • 今の日本で多くの日本人が閉塞感を抱え、思考停止してしまっている。理由は2つある。
  1. 自分の問題解決能力に自信がないこと。自己効力感が低いこと。
  2. 本当に問題が難しくなっていること。

 

  • しかし、このままではいけない。
    だから何とかして、どうしたらいいかわからない、どうしようもないこの閉塞感を打ち破り国民一人一人が問題解決の主体になる必要がある。そのために今の日本について考え答えを出せるところから出してみよう。これからを生きる私達にはとにかく考え自分なりの回答を出してみる作業が必要である。

日本人はなぜ幸福を感じられないのか

さて現在の日本人はあまり幸福を感じていないようです。

国連の調査によると日本人の幸福度は156カ国中58位であり幸福度はどんどん下がっているというデータがあります。

しかし、これは考えてみると変です。というのも実は日本経済は世界で最も好調だからでございます。

反論を顧みずに言えば、実は現在の日本経済は総体的に世界で最も好調なのです。他の国々を見渡すとまずギリシャ危機以来、EU経済が崩壊の瀬戸際にあることはよく知られております。

アメリカもまずい状態にあります。一方で日本経済はどうでしょうか。確かに政府の借金は増えており、ついに1000兆円を超えました。

しかし、ギリシャとアメリカと同様に考えることはできません。というのは借金が円建てだからでございます。

簡単に言えば、お金を貸しているのが日本人だからです。ゆうちょ銀行を始め銀行は国民の預貯金を使って国債をあっている、つまり金の貸し借りは日本国民と日本政府の間でのことです。

政府の借金は確かに多いですが、外国に対する日本の借金はほぼないと言っていいほどです。むしろアメリカに大量に貸し付けております。

このように考えると現在の日本はそこまで悲観的なのでしょうか。少子高齢化、人口減少による経済規模の縮小を心配する声もありますが、筆者いわくこれもまた理解に苦しむそうです。

確かに現在の日本で生産性が下がり、一人当たりのGDPの順位がどんどん下がっているのは問題で、これは明らかに経済的な競争力の低下を意味しているからであります。

しかし、国全体の経済規模、すなわちGDPが低下するのは人口減少が伴っていれば問題ないのです。なぜなら、国のサイズが小さくなるんですから必要な税金が減るのも当然ですよね。

従って、GDPが減り税収が減ったっていいんです。それでもやはり税収が減るのはまずいというのは税金を使う立場にいる人間の勝手な都合です。

つまり、税務署の官僚が人口減少を心配するのは仕方がありません。しかし、それ以外の人にとってはどうでもいいことです。

むしろ住宅事情の改善が期待できるgood newsと捉えるべきです。

「とにかくGDPが減少するのは嫌だ」、「GDPランキングがこれ以上落ちるのは耐えられない」と考える人もいます。

そういう人にはGDPの規模=国の経済力ではない通り理解してもらいたいと筆者は言います。

電化製品をはじめとする製造業で日本のシェアを着々と埋まっている韓国のGDPは日本の5分の一ほどでございます。

今や金融センターとして日本を大きく引き離しつつあるシンガポールに至っては日本の1/25のGDPしかありません。

GDPだけ見れば小国でも実は経済大国と言える国はいくらでもあるのです。たとえ国内マーケットが縮小しようとも世界には売り込むべき巨大な市場が広がっています。

円高によって割高になり不利だと感じるか、信頼というプレミアで勝負できるかと思い直せるかは発送しないのはずです。

このように考えてみると円高に対して日本人自身が極めて悲観的なのは不思議なことでございます。日本経済は深刻な状況にある。このままでは財政破綻も近いといった議論がまかり通っております。

若い世代は世界最高の環境を活かして企業にチャレンジするのではなく、むしろ大企業志望や公務員志向を強めております。

中高年は年金危機とやらに備えて貯蓄に余念がありません。なぜ日本経済はそれなりに元気なのに日本人には元気がないのでしょうか。

世界有数の豊かな国に行きながら、なぜ日本人は幸福そうに見えないのでしょうか。

ここからはその理由を検討していきます。

もちろん様々な理由が考えられるでしょうが、筆者が日本人が幸福ではない最大の理由だと指摘するものは公平なき日本では既得権益者が優位に立ち続けるからです。

日本というのは公平ではありまえせん。差別も不平等もまかり通っております。

例えば、差別の代表は裁判でございます。実は服装で判決が変わってしまうというのが日本の裁判なのです。

弁護士の間では服装によって判決が変わるというのはもはや常識です。例えば、民事訴訟ではきちんとした服をしている当事者の主張が明らかに通りやすいそうです。

ちなみに刑事訴訟では被告人にはわざとみすぼらしい服を着せるのが常識です。反省の態度を示すとともに同情を誘って少しでも有利な判決を勝ち取るのが狙いなのです。

服装によって裁判の判決が変わるというのは人を身なりで差別することです。つまり、すべての国民は法のもとに平等であると定めた憲法第14条に明らかに違反しているわけです。

そればかりではなく、日本の司法制度ではこうした憲法違反の判断を助長するような制度がわざわざ用意されております。

それが刑事裁判における情状酌量でございます。情状酌量とは被告人の

  • 性格
  • 年齢
  • 経歴
  • 境遇
  • 犯罪の動機
  • 犯罪後の態度

といった犯罪と関係のある一切の事情を考慮して刑罰を軽くすることでございます。

これは刑法第66条に明文化された、れっきとした法制度であります。

しかし、これこそまさに憲法違反そのものとしか思えません。

例えば同じように人を殺したとしても年齢や境遇を考慮して経営に差をつけているのならば差別としか言いようがありません。

ましてや被告人の性格であるとか、犯罪後の態度などという曖昧なものまで考慮に入れていいんだとすると裁判官はいくらでも恣意的な差別をすることが可能になります。

極端に言えば「こいつの態度は気に入らないから実刑」、「可愛げのある被告人だから執行猶予にしてやろう」といった差別が許されることになってしまいます。

そんなバカなと思われるかもしれませんが、実際こうした差別は存在しているように見えます。

わかりやすい例がかのライブドア事件でしょう。この事件で堀江貴文氏が行ったとされる粉飾決算の総額は53億円ほどでございます。

それが事実だとしてもこれまでの判例からみてとても実刑が相当とは言えません。

1000億円単位の粉飾決算で裁判となった山一證券や日本債券信用銀行の受験でも当事者には最終的に実刑判決を下されていないのです。

ではなぜ、堀江氏は実刑判決を受けてしまったのか。それは彼が検察や裁判官に対して従順な態度を示さず、徹底抗議の構えを取ったため裁判官の心証を損ねたからでございます。

さらに付け加えれば堀江氏の件に限らず一般に日本の刑事訴訟では罪を否認したこと自体が反省していないというマイナスの情状と評価され刑が重くなる傾向が見られます。

改めて言うまでもなく、被告人が刑事訴訟で自分の無罪を訴えるのは当然の権利です。

それを行使したがために不利に扱われるなどあってはならないことです。裁判の公正さが根底から疑われることになります。

そこでアメリカなどでは否認事件で被告者が不利にならないように有罪か無罪かを判断する裁判量刑を判断する裁判の手続きを分けるといった工夫がなされています。

これならいくら日にしてもそれが量刑に影響することはないため、被告側は安心して徹底抗戦できます。

今のところ日本ではこうした制度が導入されている動きはありません。相変わらず裁判官は避妊した被告を反省していないと決めつけることが可能なのです。

弁護士達もここに矛盾があることを半ば諦めて「気にすると不利になるので争わずに執行猶予を狙いましょう」などと被告人に勧めます。

このような不公正を許す情状酌量を認め、さらに念の入ったことに制度化までしているのは先進国では日本だけでございます。

そして、このような不平等や差別は裁判や司法だけではなく、企業でも普通にいいことでございます。

多くの人にとって就活に人生がかかっているというのは言うまでもないでしょう。

面接の現場では人を服装で判断するような情状酌量文化が企業社会においても当たり前となっております。

さらには服装だけではなくて、顔などのルックスで判断されることも当然とされております。

イケメンと美女は面接で受かりやすいなんてこともよく指摘されております。このように公平さのない日本社会では情状酌量がまかり通り、裁判所から企業まで様々な組織の問題解決能力が低いまま放置されています。

しかし、日本社会に公平さがないことによる最大の弊害はもっと別のところにあるのです。

それは社会の構成員の可能性を奪ってしまうということでございます。公平さは神の前では誰も偉くないという一心教的な思想に期限を持っています。

だから、アメリカをはじめとするキリスト教圏では苛烈な資本主義がのさばり巨大な経済格差が生まれる。一方でだからといって金持ちや権力者が偉いわけではないです。

本質的には人は皆平等だとの良識が維持されているわけです。

そうである以上、少なくとも建前上は全ての人に均等に自己実現の機会が与えられていなければ平等だとは言えません。

実際アメリカでは誰もが支配者側に入り込むあるいは支配者と戦う新興勢力として成功するチャンスを与えられています。つまり、個人の可能性を生かす社会ということでございます。

ところが日本社会は違います。公平さがないため本質的には人は皆平等だというメンタリティがありません。金持ちや権力者は本当に偉い人になってしまいます。

こうなると同じ社会の構成員といっても人それぞれ価値が違うということになります。価値が違う以上対等に扱われる必要はない。したがって平等にチャンスを与えられなくてもかまわないとの発想になるんです。

機会の平等がない社会は一体どうなるでしょうか。一言で言えば封建社会になります。

日本では国会議員の子が国会議員になる確率は一般人の子が国会議員になる確率の約3万倍です。

ちなみに、自民党では世襲議院の比率は約50%、国会議員全体で約40%です。これは明らかにおかしいですよね。

最低でも親の選挙区には出られないといった程度のルールは必要でしょう。他にも医師は二世、三世が多い職業としてられております。

また、あまり知られていませんが日本ではアカデミズムの世界も先週の比率が非常に高いです。

法科大学院制度で多額の学位が必要になったことにより今後は弁護士など法曹の世界も今よりも一層世襲化が進むでしょう。

さらに個人の才覚だけが物を言うはずのビジネスの世界でさえ似たようなことが起きています。楽天の会長兼社長である三木谷氏は父親は神戸大学名誉教授、母親は戦前にアメリカで学んだ帰国子女という名門の家柄で大学を卒業すると名家出身者が多かった当時の日本興業銀行に入行しております。

同じようにIT企業を起こした新興企業家でありながら、ごく普通の家庭で育ち東大中退で大企業経験もない堀江貴文氏は徹底的に財界から嫌われ、最終的には潰されてしまった。

一方の三木谷氏は財界の覚えめでたく、それは経団連を退会するようなあからさまな犯行をした後でも変わりません。

そこに生まれによる差別を見て取るのは不自然なことでしょうか。

このように機会の平等がない社会ではもともと有利な立場にいる人と、そうでない人との間で自己実現の可能性に大きな開きがあるのです。

これが日本人が日本で幸福をあまり感じられないわけでございます。

まとめ
  • 日本人の幸福度は低い。しかし、実は現在の日本経済は総体的に世界で最も好調である。また、国全体の経済規模、すなわちGDPが低下するのは人口減少が伴っていれば問題ない。それは国のサイズが小さくなるわけだから必要な税金も減るからである。
  • 筆者が日本人が幸福でない最大の理由だと指摘するのは公平なき日本では既得権益者が優位に立ち続けるからでございます。日本は公平ではありません。裁判や企業など、いたるところで差別も不平等もまかり通っております。その結果、個人の可能性がとことん追求出来るアメリカなどに比べて個人の可能性を生かすことができない社会構造になっている。

「日本を捨てる」ということ

筆者は日本を愛するのなら「日本を突き放せ」と言います。

筆者は様々な日本を良くするための解決策を提示し、それが高く評価されていますが、そのような他の人が思いつかない発想ができるのは抽象度の高い思考をしているからだそうです。

筆者は日本について考えを巡らせる時、日本という枠組みを超えて考えています。

つまり抽象度の高い思考をしています。抽象度が高いとは言い換えれば具体性が低いことを指しています。

つまり、抽象度が高い人は自分のこと目先のことといった具体的なことではなく、よりスケールの大きな対象、例えば世界のこと、地球のこと、宇宙のことに思考が向かうようになります。

通常日本が抱える問題について考えるとき日本の具体的現象を考察の対象にしようとします。

優秀で真面目な人ほど日本の政治、日本の経済、日本の文化、なかでも戦後の政治、バブル期以降の経済、企業の文化と一層具体的な分析を進めていくことでしょう。

確かにこうしたアプローチも大切です。しかし、あまりにも個別具体的な分析ばかりを続け枝葉の事実ばかりに注目してしまうと、その現実の枠内にあるものしか見えなくなってしまいます。

その結果、出てくる解決策も現実的ではあってもありきたりで、小手先のものになってしまう。

一方、日本の諸問題を考えるとき日本という枠よりも抽象度の高い思考を心がけるとどうなるでしょうか。

日本にとどまらずアジア、さらには世界まで思考を広げる。単に比較するのではなく大きな視野で物事を捉えるようにする。

さらに日本国ではなく、そもそも国とは何なのか考える。日本文化ではなくそもそも文化や言語とは何なのか。そしてそれが地域ごとに分化するのかと考えてみる。

抽象度の高い仕事は例えて言うなら、より高い位置から全体を見渡すということ。するとより低い抽象度で思考している人たちの盲点も丸見えなのです。

だから、盲点に隠れた解決策を提言することもできる筆者の提言が斬新かつ本質的だとするならこれが理由です。

ではなぜ日本の将来を真剣に案じている優秀な人ほど抽象度の低い思考に止まり、結果として盲点にとらわれてしまうのか。

それはまさに日本を愛しているからでございます。

  • 日本を愛しているから日本に注目してしまう
  • 日本を愛しているから日本を特別視してしまう
  • 日本を愛しているから日本という枠の中で解決策を探してしまう

だからこそ、日本の将来を心配する気持ちが強い人ほど日本のためになる解決策にたどり着けないという皮肉な結果になってしまうのです。

本気で日本を救うたい、より本質的で効果的な究極の策を考えなさいと思うならまずは日本と適切な距離をとることが必要です。

あえて、日本を突き放すべきなのです。日本を飛び出さなければ日本のことなどわかりやしないのです。

それでも日本を突き放せない愛国者のためにもう1つ筆者はアドバイスしております。日本と距離をとることであなたは初めて日本と出会えます。

先ほどの抽象度の話を思い出してください。ある問題の全体像が見えるのは1つ上の抽象度でものを見た時だけです。

その問題に没入していては大事なものを見落とすことになるのです。同じように日本の全体像を見るためには1つ上の抽象度に上がらなくてはいけません。

もっと簡単に言えば、いくら恋人を愛しているからといってピッタリ抱きついたままではその美しさを知ることはできません。少し離れたところから見るからこそ美人だとわかる。

日本は世界という全体を形作る1つの部分です。したがって、日本とは何かを本当に知りたければ世界という全体を知らなければいけない、世界という全体を認識した上でなくてはその一部である日本の真の姿など知ることなどできやしないのです。

ですから、日本は良い国である、美しい国である、優れた国であるとあなたが考えるのならば、そうした日本の長所をしっかりと認識するためにこそ日本から少し離れてみましょう。

海外生活を経験した人が帰って母国の良さに気づくのはまさにこうしたメカニズムによるものなのです。

物理的に離れたこともさることながら他国を知ることで抽象度が上がること世界を見ることで全体像をつかむことができることが重要なのです。

それによって母国を正しく評価できるようになったんですね。あなたが日本を愛し、日本を救いたいと本気で考えているならまずは日本を飛び出してみることです。

そしてより高い抽象度から日本を見ましょう。日本の美点をそれだけでなく欠点も余すとこなく認識しましょう。世界という全体の中で日本という国が持つ真の価値を見極めましょう。

日本を救う道は日本と正しく向き合う道はその時に自然と見えてくるはずでございます。

まとめ
  • 日本を正しく理解し日本と向き合い日本を愛するなら日本を突き放せ。
  • 日本を知りたければ、まずは日本と適切な距離をとること。あえて日本語を突き放すべきなのです。日本を飛び出さなければ日本のことは分かりません。日本は世界という全体を形作る1つの部分です。したがって、日本とは何かを本当に知りたければ世界という全体を知らなければならない。世界という全体を認識した上でなくてはその一部である日本の真の姿を知ることができない。

 

本日は日本論をテーマに熱く語ってきました。

あまり聞いたことのない話が多かったかもしれませんが、私たちが日本人として日本に生きる以上、大抵のことは、日本という国によって規定されてしまいます。

そういった意味でも自分の生きる日本について正しく理解し自分の頭で日本の将来について考えることが重要になってくるわけなのです。

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