11月21日(木)の「カンブリア宮殿」は、まもなく設立50年を迎える菓子メーカー“小松製菓”が登場。
数々のお菓子メーカーが激闘を繰り広げる中、地方のお菓子メーカーとして50年目を迎えられる秘訣とは?
小松製菓の常識にとらわれない「独自の経営論」に迫る!
昭和45年から続く老舗お菓子メーカー「小松製菓」とは?
小松製菓は、岩手県二戸市に本社を構える老舗のお菓子メーカーだ。
小松製菓の看板となる商品は青森・岩手地区の郷土食である「せんべい汁」に使われる「南部せんべい」。
せんべい自体に付いている優しい味わいが楽しめるせんべい汁は、古くから郷土料理として親しまれている。
その南部せんべいにチョコをまぶした「チョコ南部」も小松製菓の人気商品。
そんな小松製菓が大切にしているのは「従業員の幸せが第一。売り上げや利益は、その結果として返ってくるもの」という言葉。
これは2代目社長である小松務さんが会社を経営する上で重きに置いている考え方だ。
さまざまなお菓子メーカーが激闘を繰り広げる中、50年も生き残ることのできた地方お菓子メーカーのサバイバル術に迫る。
さまざまなお菓子がある中、「せんべい」の人気の理由は?
お菓子といえば、ポテトチップスやチョコレート、飴やガムなど種類はさまざま。
多様なジャンルのランキングを集計しているサイト「fa-arrow-circle-rightRANK BEST(ランクベスト)」によると上位はポテトチップスの「じゃがりこ」やチョコレート菓子の「チョコパイ」などばかり。
せんべいがランクインしたのは86位株式会社マスヤの「おにぎりせんべい」と67位fa-arrow-circle-right三幸製菓の「雪の宿」、62位fa-arrow-circle-right亀田製菓の「ぽたぽた焼」と、下位を占めていた。
そんな中、小松製菓の「せんべい」が人気の理由とは何なのだろうか。
小松製菓の人気の理由には、現代風にアレンジした商品にあった。
シンプルなせんべいだけでなく、現代人の好みに合わせて燻製したサキイカをまぶした「いかせんべい」や、りんごのチップをトッピングした「林檎せんべい」など、同業他社を圧倒する200種類以上の商品ラインナップがある。
常識破りな戦法として、意外性のある新しい味を次々と開発したのだ。
また、硬さや厚さを時代に合わせて変化させ、「常識にとらわれない」商品開発で売上げを伸ばし、年商は約30億円を突破。
現代人に合った商品を開発する力こそが、小松製菓が生き残ってきた秘訣と言っても過言ではない。
小松製菓が大切にする「従業員の幸せ」とは?
小松製菓には、最大の特徴がある。
それは「従業員の幸せ」を第一に考えているという経営方針だ。
例えば、小松製菓では子供を幼稚園や保育園に通わせるママさんには、月に最大1万円の補助金を支給している。
また、定年を迎える社員には、希望があれば延長雇用ができる制度を設け、退職者がいつまでも働ける場所を作った。
他にも社員の誕生会を開いたり、社員へのお歳暮送付、退職者にも年2回の年金を支給するなど、とにかく従業員が喜ぶ手厚い待遇ばかり。
現社長の務さんは、「従業員が愚痴や不満を言うようでは、会社が大きな利益を出しても長続きしない」と言う。
地方の菓子メーカーながら、これだけ社員を大切にし、業績を伸ばし続けられているのだろうか?
1番大事なものを忘れかけて巻き起こった「倒産の危機」
「従業員の幸せを追求する」という小松製菓の経営方針を作り上げたのは小松製菓の創業者・小松シキさんだった。
8人兄弟の末っ子として誕生したシキは、父や兄弟を早くに亡くし、幼少期から丁稚奉公に出され、働きづめの壮絶な人生を歩んできた。
そんな経験をしたからこそシキさんが考え付いたのは「支えてくれる従業員を大切にする経営」だったという。
1990年代に入り、小松製菓が生みだしたアイデア商品はヒット。
それは小松製菓にとってバブルの波に乗るとともに、大きな転機となった。
母のからシキから会社を引き継いだ務さんは次々と新商品を続々開発し、18店舗にまで店舗を増やした。
しかし、新商品開発や店舗の拡大の影響により、工場建設の借金や人件費が膨れ上がり、小松製菓は赤字に転落した。
好調だった経営も、一気に倒産の危機に陥った。
当時を振り返ると、「私は"売り上げ主義"という病気にかかっていた。」と務さんは言う。
毎月1000万円ほど足りていない状況だった。
この危機を無事に乗り越えることができたのも小松製菓が持っていた「社員を大切にする気持ち」のおかげだった。
従業員と足並みをそろえて危機に立ち向かい、巻き返しを計ったのである。
社員の幸せに繋げるために行った「再建計画」とは?
務さんは母のシキさんが従業員から慕われる姿を見て、会社の景気が良かったのは、従業員の幸せを1番に考えているからだということを知り、「社員の幸せにつながらないと、会社も長続きしない。幸せにならない」と気付いた。
そこで、務さんはまず無計画に増やした店舗の半分を閉鎖した。
同時に400アイテムあった商品ラインナップを200個まで減らす、コスト削減に取り組んだ。
その一方で、従業員のためにユニークな部署を立ち上げた。
従業員が楽に働けるためのアイデア装置を開発できる部署だ。
従業員の働きやすさを考えて工場の中を次々と改善すると、生産性アップに繋がったのだ。
こうした取り組みを行うことで、従業員の気持ちにも変化があった。
「少しでも会社のためになりたい」と社員自ら他の社員の残した仕事を手伝ったり、会社のイメージアップのためにお客にお礼の手紙を発送したりと、さまざまなことに取り組むようになった。
「南部せんべい」を超える大ヒット商品が誕生!
郷土料理“せんべい汁”に使われる「南部せんべい」。
伝統を守りながらも現代に合わせた新しい商品開発を行っている小松製菓が、近年大ヒットさせた商品がある。
それが、小松製菓の人気商品「南部せんべい」を細かく砕き、最高級のチョコレートを全体にコーティングした「南部チョコ」だ。
2009年の発売を開始して以来、販売数は250万個を突破している。
今では小松製菓の看板商品となり、売り上げ全体の2割を占めるヒット商品となった。
「チョコ南都」を企画・開発を担当したのは、青谷さんだ。
しかし、チョコ南都の誕生の影には知られざるエピソードがあった。
当時、社長だった務さんから「1000万円分のチョコを今すぐ全部捨ててこい!」と言われたことも。
社長直々「商品を全部捨てろ」と言った“バレンタイン事件”とは?
小松製菓が生み出した「チョコ南部」。
今や会社の売り上げを支える大ヒット商品となっているが、発売当時は会社の運命を変えるほどの大事件があったという。
それは、チョコ南部がヒットし始めていた2010年12月のこと。
バレンタインデーを控え、その都度発注していたら間に合わないということもあり、青谷は2ヶ月前から業者に発注をかけていた。
その在庫を見た小松さんはすぐさま幹部全員を集め、「売れ残ったらどうするつもりなんだ。」と問う。
それに対し、バレンタインが終わっても賞味期限内には十分売れると言う青谷の返答を聞き、小松は「商品を全部捨てろ」と命令した。
当時のことを振り返ると、青谷さんは「もしあの時のことがなかったら、信用を失っていたかもしれない」と言う。
小松さんはどうして「商品を全部捨てろ」と言ったのだろうか。
決して「チョコ南部」の大ヒットから2年目を迎えた時に、大量の商品を仕入れていたことに対して怒っていたわけではない。
というのも、「チョコ南部」の賞味期限を見てみると、かなり前に送った煎餅で作ったチョコレートのクランチだったという。
販売する時にはすでに賞味期限が迫っており、お客も手元に渡ってからの賞味期限は1週間しかなった。
これをお客に販売してしまうと、小松製菓の信用問題になる。
だから、小松は「商品を全部捨てろ」と命令したのだ。
その損失額は1300万円だったが、この損失は「自社工場」の製作に繋がった。
従業員を1番に大切にする小松製菓。
商売をしていると、どうしても先に売り上げに目が行きがちだが、先に従業員を幸せにする取り組みを行ってみてはどうだろうか。
それが思いがけない「全体の幸せ」に繋がるのかもしれない。