
必要な道具、宝物、それが人生を豊かにしてくれると信じている多くの物に囲まれて人は暮らしている。
だがほとんどのものは大切という幻想のパッケージに包まれた不用品だ。
逆に持ち主の決断や行動を縛り付けていることもある。本当に大切なものへアクセスするのに障害となっているのだ。
ぜひ自分に問いかけよう。
「それは本当に必要だろうか。」
今回はホリエモンの"捨て本"を解説していきます。最初に言うと、この本はおそらく今まで私たちが持っていなかった考え方や価値観を提示してくれる非常に素晴らしい本です。
ホリエモンはまず冒頭で私たちに次のように問いかけるのです。
「本当にそれは必要ですか。」
あなたが必要だと思っているものは本当はいらないもので、逆にそれを持っていることによって本当に大切なものにアクセスする障害となっていないだろうかと。
きっと自分の部屋を見ると、大切なものがたくさん置いてあるでしょう。
- お気に入りの洋服
- 高かったブランド品
- 好きな人からもらったプレゼント
- 好きなアーティストのグッズ
- 親からの手紙
など。
「どれも大事」「ずっと死ぬまで持っていたい」
そういった気持ちがこもっているものも多いはずです。
そして、形のないものもあなたは持っています。
- 親への恩
- 仲間内での義理
- 借りを返す責任
- 上司からのプレッシャー
- 習い事の約束
- 飲み会や遊びの予定
- 締め切り
- 嫌いな奴への恨みや怒り
- 将来への不安
ポジティブなものはさておき、持っている事実を認めるだけでもため息が出るネガティブな感情もあなたは持っているのではないでしょうか。
あなたの持ち物は良くも悪くも、大抵捨てられない捨ててはいけないと思っているものばかりです。
でも、あえて聞かなければなりません。本当に本心からそう思っているのですか、とホリエモンは断言します。
物への愛はほとんどは思い込み。
物に囲まれた偽の充足より、それを大胆に捨てて軽やかに走り出す爽快感を選んでほしい。物の量というのは思考の密度を奪ってしまうのです。
無くしたらどうしようとか、それを失うと自分が欠けてしまうという余計な不安が頭の中に生じるからです。
安心するために必要だったものは逆に不安を増強する装置になってしまうのです。
大切なものを捨てたことでもっと大切なものが自分の中で明確になっていくのです。
大切なものをあえて捨てていくことが本当に大切なものにアクセスする手段となるのです。
ホリエモンは物を捨てろと言っているわけなのですが、巷によく溢れている単なる断捨離本ではありません。
自分の部屋を徹底的に片付けようとか、3ヶ月以上来ていない服は捨てようとか、そういった当たり前のことが書かれているわけではなく、もっと私たちが大切だと信じていたものを捨てろと本書には書かれているのです。
本書には私たちがこの本に触れるまでそれを捨てることなど考えもしなかったものを捨てろと書いてあります。
しかし、たとえ一時的に痛みを伴ったとしてもそれこそが本当に大切なものにアクセスするために必要なのです。
ではこの本書には一体何を捨てろと書かれているのでしょうか。これから一緒にじっくりと見ていくことにいたしましょう。
結婚と家族を捨てる
ホリエモンは
- 結婚なんてしなくていい
- 家族は捨てるフォルダに入れて問題ない存在
だと言います。
ホリエモンはライブドアが急成長している最中に1度結婚しそして一人の子供を授かりその後離婚しています。
ホリエモンは自分の体験だけではなく歴史をさかのぼって結婚や家族とは何かを考察しているところが面白いのです。
皆さんは結婚や家族といったものは当たり前だと思っているし、大切だと思っているでしょう。
しかし、日本での家族制度の起源をご存知でしょうか。
少し歴史を遡って考えていきましょう。
18世紀のイギリスで起きた農業革命が日本に波及した江戸時代にしばしタイムスリップすることにします。
テクノロジーの進歩による農業革命によって人口は急速に増えていきました。
ところが農地を維持していくためにはメンテナンスが必要です。田んぼは1年も耕さないと次の年には収穫できなくなってしまうのです。
だから、子孫に引き継いで維持していかなければならないのです。子供が一人ならばいいですが、何人もできると問題が発生します。
田んぼを分割相続していたら農地がどんどん狭くなっていきます。
それではいずれ、人々が満たされるだけの収穫が得られなくなってしまいます。食料供給のために安全な相続は田んぼを分割するのではなく、一子相伝の方法でなければなりません。
それが長男至上主義の因習の下地となり養子縁組システムの確立を進めることになりました。
長男は生まれた土地に縛られ次男次女達は、豊かな家庭に方向に行き別の家族の一員となったのです。
そうやって日本社会では長年、長子に土地を相続させ途絶えないよう、田んぼを守り続けたという過去があります。
長子を田んぼに紐付けることで食料供給が安定しました。この安定がみんなが飢え死にしない日本社会の運営の基礎となる一夫一婦制を強固にして行ったのです。
長子が結婚できずに溢れてしまうと土地の維持ができなくなり、子孫達、ひいては社会が困ってしまう。
それを防ぐための制度として別れたり資産分割のしづらい結婚制度が法整備がされる運びとなったのです。
要は結婚とは、田んぼを守るためのシステムでしかありません。
田んぼ以外に食料供給の生産分野をたくさん開発した現代人には全く無意味なものになってしまいました。
ここで別にホリエモンは生涯添い遂げるパートナーの存在を否定しているわけではありません。
制度的に一対になる異性と契約して、その一対の中でしか子供を持つことが社会倫理的には許されず、正当な相続権がないというのはもう古すぎでしょ、と言いたいのです。
男も女も結婚せずとも好きな人と恋愛しまくり、たくさん子供を作れば良い。
女は自由に男を渡り歩き、経済力のある男はたくさん女性を囲って子供たちに財産を好きなように分け与えればいいわけです。
子供が欲しいのは財産ではありません。楽しく過ごしている親の姿であり自分たちも同じように楽しく好きなように生きていける未来なのです。
親から田んぼを受け継がされて喜ぶ子供が一体どれぐらいいたでしょうか。江戸時代にいたのかもどうか疑わしいものです。
家族は確かにいても良い。家族が一番大切と言うならそれはそれでいいでしょう。
ただ捨ててはいけない、捨てたら悪人だという思い込みは間違っています。
それは江戸時代からの単なる洗脳であり、捨てても責められる謂れはありません。
歴史で考えれば江戸時代なんてごく最近のことに過ぎません。さらに家族に関連してホリエモンは家を持つこともありえないと言います。
このご時世に数十年の長期ローンを組んで家を買っている人がまだいますが、これは信じられない行為だとホリエモンは言います。
借金自体は否定しません。
しかし、社会情勢や気候や交通事情が変動を続けるとわかっているのに立地も基本的な建て組みも変えようがない不自由な家を契約して、わざわざ長期支払義務を伴う借金を背負う時よりは恐れ入るしかないと言っています。
しかも、持ち家には固定資産税がかかります。ローンの金利もとられるでしょう。
定期的に修繕費も必要な上に土地の上の建物部分の価値は減価し、地価そのものにも変動リスクがあります。
無駄な出費を強いられるのは必須なので家族が増えた時を考えて部屋を作っても長くて20年ほどで子供は順番に巣立っていくでしょう。
家の持ち主が高齢になれば、転倒防止や生活の快適さを保つためバリアフリー化も検討しなければいけません。
ライフスタイルというのは必ず変わるのに借金までして自由度の極めて低い不動産を所有しようと理由は一体何なのでしょうか。
子供のためでしょうか。家族のためでしょうか。ほとんどの場合、家を買うのが立派な大人だという刷り込みに工夫したのだと思います。
そんな刷り込みは捨てていこうとホリエモンは言っています。家を買うことの最大の問題は一度かかったらなかなか動けなくなってしまうということです。
結婚制度の根幹が土地に長男を縛り付けることですから仕方がありません。
家をよっぽど気に入ったならいいですが、割合的には年数が経つにつれて今の家には住みづらいなーとか飽きたなあという人の方が多いはずです。
今のように変化の激しい時代においては、住まいを自分の意思で変えられない人生は少々のリスクとは入れません。
ライフスタイルや経済状態、その時の住みたい街などの気分次第でフレキシブルに移動できる、賃貸アパートの方が絶対に有利です。
- 結婚なんてしなくていい。家族は捨てるフォルダに入れて問題ない。そもそも結婚とは田んぼを守るためのシステムでしかいない。田んぼ以外に食料供給の生産分野をたくさん開発した現代人には全く無意味なものなのだ。
- 家族が一番大事と言うならそれはそれでいい。ただ捨ててはいけない。捨てたら悪人だという思い込みはまちがっている。それは江戸時代からの単なる洗脳にすぎない。
- 家を買うのが立派な大人だという刷り込みに屈して、家を買うのもリスクがありすぎてありえない行為である。
気配りと空気を読むことを捨てる
次に捨てるべきは気配りと空気を読むことです。
一般的にはこれらは大事だと思われています。しかし、これらを捨てて言いたいことを言う、気持ちを曲げないで伝えるべき相手に直接伝える、妥協や空気読みは一切捨ててもいいんだとホリエモンは言います。
クレームを言うと言うか自分自身の不変の枠組みをコミュニティの中でしっかり提示することが重要です。
それだけで心労やトラブルはだいぶ減るはずです。
言いたいことを言っていればその時は鬱陶しく思われたり誤解されるかもしれませんが、いずれ評価のステージは上がっていくので心配しなくてOKです。
クレームを言うことの継続は周囲との折り合いを作り出していくことなのです。
例えば、自分が嫌いな納豆を無理やり食べさせようとする親に対して、「嫌いだから食べたくない」と何度も何度も言い続けることでやがて親は諦めます。
「健康にいいから食べなさい」と言われたら「納豆と同じぐらいの栄養でもっとおいしいものがあるよね」ときちんと伝える。
そうやって厄介な圧力との折り合いをつけていく作業を自分で繰り返していきましょう。
そうするとだんだん人生のストレスが軽減されていくのを感じられるはずです。どんな物事であっても一度に変えるのは無理です。
特に辛い時は、人は0,1思考になってしまうことが多いです。好きか嫌いか、敵か味方か、などとそして究極的には生きるか死ぬかで不幸にも自殺を選択したりします。
二極化した思考に陥ってしまうということです。しかし、変化というものはグラデーションでおきていくものなのです。
自分の行動や言葉で快適に過ごせる環境への整備を少しづつ継続していくしかありません。最初は誰だって親や先生が入っていることを正しいと信じ混みます。
でも、知識を得たり思考を深めていくと「だんだんこいつはおかしなこと言ってるよね」と気付いてくるものなのです。
気づきは突然天啓が降りるのではなく、グラデーションのトーンで僕たちに訪れます。本当のことが分かったり逆に本当の自分を周りに分かってもらうのには時間がかかるのです。
技術や経験の少ないうちはなおさら焦らず諦めないでフレームを主張し続けましょう。
人間関係の中で折り合いをつける努力をコツコツと継続していくと生きやすくなっていきます。
そして次第に、捨てるべきもの捨てずに大切にしなくてはダメなものが分かってきます。フレームを言うとはつまり本音で生きることです。
例えば、サラリーマンで次のように悩んでいる人は結構多いのではないでしょうか。
- 上司の無茶苦茶な部分を指摘できない
- 会議の雰囲気がいつも悪くて意見が言いづらい、何も言えなくてモヤっとする
- 本音や正論を言ってしまうと人間関係が崩れ職場に居場所がなくなる
多かれ少なかれ言えない本音を抱えながら僕たちは仕事をしています。
あなた自身にも当てはまるかもしれません。よく言えば、空気読みに長けた気配り上手な性格でもあります。
しかし、断言しますが本音を隠す必要は一切ありません。気配りなんてばっさり捨てて言いたいことを言って良いのです。
むしろ本音を言われて困るのは上司の方です。マネジメント能力がないと責任を問われるでしょう。
今の時代、部下から信頼されていない上司ほど会社で居場所の危うい存在はありません。
さらにSNSでひどいパワハラの実態が拡散されれば社会的な制裁を受ける可能性なぜならあります。
SNSの情報拡散によって社会的地位を失った有名企業のエリートや政治家は10人や20人ではありません。
結局、本音を言える側の方が圧倒的に強いのです。上司が理不尽であれば何が理不尽なのかを堂々と指摘しましょう。
部下から本音をぶつけられた時世間体を気にする上司なら丁寧に話を聞く姿勢になるでしょう。
そこで逆上する上司なら逆にしめたものです。遠慮なく取締役やSNSなどさらに強い味方の力を借りれば良いのです。
小さな会社のサラリーマンでワンマン社長に苦しめられているという人でもはっきり社長に物を申しましょう。
解雇されるリスクなんてありません。言いたいことを言ったからという理由で解雇などコンプライアンスの整った今の日本の会社ではまず無理なのです。
気配りや空気読みでストレスが軽減されるいいのならば良いです。
しかし、ストレスの原因になっているのなら遠慮なく捨てていくことが必要です。
何も困ることはありません。気配りや空気を読むことを捨てて本音をしっかりと伝えていくこと。
自分はこういう人間なんだというフレームをしっかりとチームに入って提示しておくことは特に日本人は苦手かもしれません。
しかし、海外などではこれらのことが当たり前に行われていて自分の意見を言わない奴はそこにいないのと同じだと思われてしまいます。
自分のやりたいことや自分の思っていることを言わないと他人の意見や思惑に従う奴隷になってしまいます。
確かに自分の意見をはっきり言う事は時に人と対立することにもなるでしょう。
そして、その場面では気まずい思いをしてしまうかもしれませんが、長期的に見ると自分が思っていることをしっかりと伝えなければ本当の友人や本当の人間関係などできません。
気を使うとか本音を隠すと言ったことは一見空気を読む大人の対応のような気もするが、結局長期的に見ると自分にとっては損でしかありません。
それならば今多少気まずくても自分の本音をしっかりと伝えていったほうが相手も自分のことをしっかりと理解してくれるのではないでしょうか。
そもそも自分の本音を言ってそれで合わない人とは付き合う必要がありません。
なぜなら、どうせお互いが我慢に我慢を重ねていけば、いずれ関係は崩壊してしまうのでそもそもそういう人と付き合いを持つ必要はないわけなのです。
- 気配りと空気を読むことを捨てよう。これらを捨てて言いたいことを言う。気持ちを曲げないで伝えるべき相手に直接伝える。妥協や空気読みは一切捨てる。
- 自分自身の普遍の枠組みをコミュニティの中でしっかり提示すればそれだけで心労やトラブルは減る。言いたいことを言っていればその時は鬱陶しく思われたり誤解されるかもしれないがいずれ評価のステージは上がっていく。
恐怖という幻想を捨てる

さきほど、気配りを捨てろと申し上げましたが、本当に捨てるべきは恐れです。
- 人間関係が気まずくなるという怖れ
- 自分の立場が悪くなっちゃうかもしれないという恐れ
- 会社を辞めさせられるかもしれないという恐れ
- いじめられてしまうかもしれないという恐れ
ほとんどの人の行動を制限しているのはこのような恐怖でしょう。
面と向かって本音をぶつけるのは勇気がいるかもしれないし、結果を考えて怖くなるのは当然です。
でも、ずっと恐れているだけであなたの苦しみや悩みは消えるのでしょうか。
結果を恐れて何も行動せず、ただ苦しみが積み重なっていくだけの生活をこの先、何年も何十年も変わらずに過ごしていくその覚悟はあなたにありますか。
恐れを捨てるには結局本音で生きるしかありません。多少は人間関係がギクシャクするかもしれませんが、仕事の結果には何の関係もありません。
ホリエモンのようにあらゆる方面から誹謗や中傷がぶつけられる立場ではなく、顔が見える上司たちが相手なのですからそんなに気に病むことはありません。
大事なのはやるべき仕事をやることです。人間関係に配慮して言いたいことを言わず、空気を読み続けることなどエネルギーの無駄でしかありません。
仕事のパフォーマンスを高めるためにも恐れを捨てて本音で仕事に向き合ってほしい。ビジネスで望ましいのはセミドライな関係です。
仕事として相手に尽くすが、互いによりかからない距離がベストだと思います。
仕事は自立した個人が目的を達成するために繋がって行うものだからです。
馴れ合いではなく、目的を達成するためにそれぞれの時間とスキルを与え合うことが最重要なのです。
情緒で繋がったり、できない人を助ける必要は全くありません。そうしたベタベタしないセミドライな関係が心地いいです。
これはほとんどのサラリーマンも同じはずです。ウェットな感情にとらわれ切り捨てるべきものを切り捨てられず、いらない負荷を重みに喘いでいるのが多くのサラリーマンの実情です。
余計なものは切り捨て、思いっきり本音を言うこと。みんなとにかく意見の衝突を避けて「それも分かります」と同意を示し、仲間意識を共有しようとしたがります。
その場はそれでいいかもしれませんが、後々にめんどくさいしがらみとか情に繋がりやすいので警戒するべきです。
ホリエモンはこれまで数えきれない著名人と対談してきました。なかには話題が噛み合わなかった人もいます。
意見が完全に対立した人もいます。だからといって相手のことを嫌いになることはないし、リスペクトが下がったりもしません。
人間関係において、お互いの価値観が異なっていることが分かるというのは思考の質を高める上で非常に大事なのです。
同意ばかりされる気持ちの良い時間を過ごしたいだけなら金を払ってキャバクラやホストクラブに行けば良い。
会社ではせっかくお金をもらって色々な技術を持った人たちと仕事ができる刺激的な環境を与えられています。
意見のぶつかり合い程度のストレスから逃げてどうするのだとホリエモンは言います。
恐れを捨てて価値観の違いを受け入れましょう。きっと今より何倍も仕事は楽しくなってくるはずです。
議論を続けていくんだか、意見が一致しないことは多々あるでしょう。そこで相手は自分を嫌いなんじゃないかと不安になってしまう気持ちは分かります。
でも、それは思い込み。意見が一致しない。それでいいのです。
分かり合えないことがわかりあえたと気づければ十分なのです。
閉鎖された環境で仕事をしていると勘違いしやすくなってしまいますが、価値観や意見が同じであるということは実は異常なことなのです。
価値観や意見がバラバラであることが普通であって、それは社会全体の正しい姿でもあります。
人間関係はデジタルの数値で区切られたりしていません。色彩が混ざり合ったグラデーションで構成されています。
この点については意見が異なるけれど別の点では完璧に同意するとか、ビジネスの考え方では相反するが仲はとても良い。そんな関係は大いにあり得るのです。
また、グラデーションで重ね合っている関係の方が繋がりは広く、柔軟で強いものになるでしょう。
全部同じ色の関係など薄気味悪いのです。時間が経つとん真っ黒になるか何らかの些細なきっかけでまるっきり違う色に塗り替えられてしまいそうです。
意見が異なる人間を自分たちの縄張りやコミュニティから弾き出そうと必死な人がいます。
はじき出されないように必死に気を配りまくり意見を言わず黙り混んでいる人もいます。
著名人であってもファンにそっぽ向かれないよう自分に離れたレッテルから外れた意見を言わないように振る舞っている人をホリエモンは見かけると心の底から気の毒だと思うそうです。
そんなコミュニティにいて楽しいのだろうか。弾きだしてやろうとかはじき出されないようにしようと必死な人達でなんとしてでも疲れたのでしょうか。
一緒にいて楽しくない人達に好かれようと努力すると自分を見失ってしまいます。
人生において自分だけは絶対に捨ててはいけません。はじき出してやろうとしてくる人なんて遠慮なく捨てて欲しいと思います。
誰かがあなたについてどう思うか、それは何の問題ではないです。相手側の問題なのです。
他人が誰を嫌おうと、何を考えようとあなたの人生には関わりがないことなのです。それに気付いたら好かれたくもない人のことなど捨ててしまいましょう。
相手が自分ををどう思っているのか、どうしたら意見が合うのかと悶々と考えることに人生の時間が奪われるなんてあまりにも勿体ないではありませんか。
人とはぶつかり合う勇気を持つべきです。こいつやっぱり最悪に相性が悪いと認識できるならそれはそれで結構。
しかし、根っこは自分と同じじゃないかみたいな新発見のおかげで逆に仲良くなるチャンスもあります。
いずれにしても恐れを捨てなければ現状を変える機会は訪れません。
最後に注意しておかなければならないことがあります。
- 本音を述べるのは大事だが、客観的な視点は捨ててはいけない
- 自分の今の意見は客観的に見てどこかおかしくはないだろうか
- ただ独善的で駄目な所から逃げようとしているだけではないのか
と自問自答することを冷静な検証は必要です。
言いたいことばかり言って、結局空っぽじゃないかと周囲に思われてしまえばなかなか味方はできなくなってしまうからです。
そのためにはまず他人のせいにするというクセを捨ててしまいましょう。
他人のせいにしてあなたの思う未来が開かれるならいいのですが、そんなことは絶対にありえありません。
他人は何の責任も取ってくれありません。だから、どんな苦境も自分のせいにするべきなのです。
- 恐れを捨てよう。恐れ捨てるには本音で生きるしかない。多少は人間関係がギクシャクするかもしれないが、仕事の結果には何の関係もない。大事なのはやるべき仕事をやることであり、人間関係に配慮して言いたいことを言わず空気を読み続けることなどエネルギーの無駄である。
- 価値観や意見が同じであることは実は異常で価値観や意見がバラバラであることが普通。人間関係においてお互いの価値観が異なっていることがわかるのは思考の質を高める上で非常に大切である。
- 言いたいことばっかり言って、結局空っぽだと周囲に思われてしまえばなかなか味方はできないからまずは他人のせいにするクセを捨ててしまおう。
























