
10月17日(木)の「fa-arrow-circle-rightカンブリア宮殿」では、激安オーダースーツで業績を伸ばしている企業が登場する。
1923年に創業した「fa-arrow-circle-right株式会社佐田」だ。(法人化は1957年)
独自の路線で、危ない時にも「迷ったら茨の道を行け!」という戦略を取ると驚きの経営術に迫る。
オーダースーツの「SADA」とは?

激安のオーダースーツで話題になってる「SADA 」とは、一体どのような会社なのだろうか。
オーダースーツの「SADA」を運営しているのは、東京都千代田区に本社を構える「fa-arrow-circle-right株式会社佐田」だ。
SADAのショールームは東京都を中心として、北海道から九州は福岡・熊本まで合計53店舗。
スーツといえば、大手企業の「fa-arrow-circle-rightスーツのAOKI」や「fa-arrow-circle-rightSUITS SELECT」などが有名だが、何故「SADA」が人気を集めているのだろうか。
その理由はオーダーメイドのスーツにも関わらず、SADAでは初回限定価格19,800円で購入することができるからだ。
SADAでオーダースーツを作るには全身の約20箇所を採寸し、佐田の自社縫製工場から仕立て、受け取りまでの期間は約1ヶ月。
工場直販こそがオーダーメイドのスーツが19,800円という驚きの価格で購入できる秘密なのだ。
「SADA」のオーダースーツを取り入れてから、売り上げは前年比120%を達成!

SADAのオーダースーツは日々スーツを着て働く営業マンにも人気がある。
ある企業はSADAのオーダースーツを着用して業績がアップしたという声も。
高級車販売店の「ボルボ・千葉中央店」では、営業マン達がこぞってSADAのスーツを着用していた。
ある営業マンは「スーツは1つの武器」だという。
自分に合った仕立ての良いスーツを着ている営業マンからだと「安心して車を買える」というお客もいるほど。
実際にボルボ・千葉中央店がオーダースーツの発注を取り入れてから、売り上げは前年比120%を達成している。
佐田社長は「スーツは相手へのリスペクトを示すもの」だと言う。
営業マンだけでなくアスリートも頼りにする「SADA」のスーツ

SADAのスーツを愛用しているのは営業マンだけではない。
プロのアスリート達もSADAのオーダースーツが欠かせないというのだ。
アスリートのように身体が大きいと、市販のものではなかなかサイズの合うものには出会えない。
SADAのスーツは頭の先からつま先まで全部採寸してくれるので、しっかりフィットするんだそう。
アスリート達もメディアなどの出演時にスーツを着用するので、スリムに見えたり、しまって見えるのが嬉しいようだ。
SADAはプロ野球の千葉ロッテマリーンズやサッカーJリーグの名古屋グランパスなど15のチームにスーツを無償で提供している。
千葉ロッテのマスコットキャラクターである「マーくん」のサイズもオーダーメイドだからこそ用意できる。
SADAのスーツは、まるでスーツを着ていないかのように軽々と動くことができるのだ。
そんなさまざまな業界人に親しまれているSADAの売り上げは37億円と、急成長を続けている。
「迷ったら、茨の道を」驚きのSADAの経営術

今ではスーツの人気が高まり、業績好調のオーダースーツSADA。
しかし、現在に至るまでのSADAの歴史はまさに「茨の道」と言えるものだった。
SADAが生まれたのは1923年。(法人化は1957年)
戦後、オーダースーツの下請け工場として営業していたが、バブルの訪れと共にがスーツブームが到来。
スーツブームに乗っかり、SADAは中国に工場を建設するほど拡大して、急成長を遂げていた。
しかし、2000年にSADAに危機が訪れる。
当時、大口顧客であった百貨店の「fa-arrow-circle-rightSOGO」が経営破綻し、赤字へと転落。
SADAは借金25億円を背負うこととなった。
現社長である佐田は当時“東レ”に勤めていたが、父親にSADAに呼び戻された。
当時は父親に対して怒りしかなく、「私の人生を終わらせたA級戦犯」という見方しかできなかったという。
当時の経理部長から涙を流して「親子喧嘩は会社ではやめてください」と言われたことも。
そこで佐田は「こんなことを続けていても、人の迷惑にしかならない。現状は何も変わらない。」と気付き、再建を託された佐田は「何か新しいことを始めなければ、会社は潰れてしまう。」と考えた。
転機のために佐田が取り組んだ「オーダースーツ」

再建のため、佐田が考えたのが“オーダースーツ”を取り扱うことだった。
しかし、その価格は19,800円と常識を破るものだった。
当時は黙っていても給料が上がっていくバブルの時代。
格安オーダースーツが定着していなかったため、「そんな安物はうちの客は着ない」とあしらわれた。
お店はより高いものを販売したかったのだ。
佐田は諦めずに低価格のスーツに需要があるということを証明するため、広報活動に取り組んだ。
当時、アスリートチームに提供していたスーツは今やユニフォームのような定番のものになっているという。
約1年で黒字化へV字回復。黒字化がさらにSADAを苦しめる理由とは?

SADAは約1年で黒字化に成功。
しかし、黒字化こそがさらに佐田を苦しめることになった。
SADAは短期間で黒字化したものの、業界で“儲かっている”という話が広がり、「今までためにためた未払いを払え」と言われるようになったのだ。
しかし、お金は入ってきたものの、もちろん借金の25億が返せる金額ではなかった。
そして2008年、投資ファンドへ会社を譲渡し、佐田ら責任を取って社長を引責辞任した。
しかし、それから3年後、佐田に「戻ってきて欲しい」との連絡が。
実は2011年に起こった東日本大震災の影響により、SADAは再び赤字へと転落。
投資ファンドはSADAから手を引いていたのだ。
赤字からの再復帰をかけ、佐田が“取り組んだこと”とは?

再び呼び戻され、SADAに戻ることを決めた佐田。
「迷ったら、茨の道を選べ」という先代の言葉通り、茨の道を選ぶことにした。
なんと赤字の中、製造小売の業者へ本格化し、2011年には新宿店をオープンするという賭けに出た。
佐田は宣伝費もないので自らがティッシュを配ったり、宣伝活動に励んだ。
そして蓋を開けてみると、オープンから3週間で売上は目標の倍を達成。
約250着を販売し、これを足がかりにSADAを全国チェーン化させたのである。
女性市場の開拓!全国トップになった売上の秘訣とは?

女性は既成のスーツを購入する人が多かったが、着心地のよいスーツを求めて、SADAの客は1割が女性だという。
女性のスーツ選びのポイントはいかにスリムに見えるかどうか。
そこで、女性用のオーダースーツのスカートはタイト・セミフレアー・マーメイドから選ぶことが出来る。
また、女性にとって嬉しいサービスとして、採寸も女性がしてくれる。
これは全国の53店舗のうち、11店舗は女性が店長を務めているSADAだからできる取り組み。
全国売上トップの店舗の店長は25歳の女性が任されており、まだまだ未開拓な女性市場を広げて行こうとしているのだ。
佐田が大切にしている考えとは?

佐田が会社を経営する上で大切にしているのは、「迷ったら、茨の道を行け」だけではない。
「過去の積み重ねに、世代の種はある」という考えだ。
SADAでは先代が残した中国工場への進出がSADAの転機となった。
あの時、中国に進出していなければ、今のSADAは決して存在しなかったと佐田は考える。
そのように、先代の残してくれた種花を咲かせることこそが大切だという考えを佐田は大切にしている。






















