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【5分で読める本要約】山口周|ビジネスの未来
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ビジネスは、歴史的使命をすでに終えているのではないか。

本日紹介する本は、この問いについて真剣に考え、考察したものになります。

現在の社会は停滞期に入ったのではなく安定期に入っているんです。

むやみやたらに経済成長をもう求める必要はない、休んでいいんだ。

生活に必要なものは全て手に入るこの世界、私たちは何のために働き、何のために生きていくのか。

この世界を安全で便利で快適なだけの世界から真に豊かで生きるに値する社会へと変えていくことこそがこれから先の時代では大切なのではないか。

そんな私たちが今生きている社会の根本を問いかけ揺さぶってくれる本をご紹介いたします。

紹介する本は"ビジネスの未来"

私たちは今どこにいて、これからどのような未来を目指し何を目指し何をしていくべきなのか。

それを考えるための1冊としてとても素晴らしい本になっています。

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わたしたちは既に幸福になっている

最初にも紹介しましたが、今のこの世界は安全で便利で快適なだけの世界から真に豊かで生きるに値する社会へと転換していく必要に迫られています。

経済成長を続け物質的に豊かになっていくことに喜びを見出す時代は終わりに近づいていること、皆さんもご存知のことでしょう。

私たち人類はここ200年の間に素晴らしい進歩を成し遂げました。多くの国で平均寿命は倍以上になり、一人当たりGDPは10から数十倍に上昇しました。

なかでもひときわ目を引くのが日本の跳躍とも言って良い変化です。1800年の段階ではインドの少し上パキスタンと同程度だったら一人当たりGDPは2019年においてはフランスやイギリスとほぼ同程度、その他の主要先進国と比較してもピザといった程度の水準にまで上昇したんです。

今の若い世代の方は実感できるかもしれませんが、生まれた時にはすでにものが溢れかえっている環境で育ち、お金が多少なくたって食べるにも生活するにも困らない。

そんな社会で生きる現代人にとっては物質的な豊かさを目指すという目標が既に行動原理にはならなくなっているんです。

経済成長とテクノロジーの力によって物質的貧困おw世界からなくすというミッションはすでにクリアされつつあるんです。

NHK放送文化研究所が1973年以来、5年ごとに実施している日本人の意識調査の生活満足度に関する回答を見ても足りますが、2018年の結果は1973年と比べ個人生活、社会生活の両面において物質的満足度が非常に高まっているんです。

私たちの社会は古代以来常に物質的貧困という問題に悩まされ続けてきたわけなんですが、この調査結果は大多数の人々にとってその問題が既に解消されていることを示しています。

このような実感を社会の大多数の人々が得るようになったというのは人類の歴史上初めてのことです。

世界規模の生活満足度調査においても1980年代と比較して2010年代というのは生活に高い満足度を感じている人が明らかに増加していることが分かっています。

ただし、そこには注意点もあります。

この30年で生活満足度の平均が上昇しているのは元々平均的に満足度を感じていた層がより高い満足度を得ることができるようになっただけなんです。

そもそも生活満足度が低かった層の満足度は、停滞してしまっているということにも目を向ける必要があります。

私たちの社会は高い満足度を感じる人を大きく増やす、このことには成功したものの低い満足度を感じる人を大きく減らすことには失敗してきたんです。

つまり、取り残されている人々がいる。

これは今私たちの社会が勅命している大きな社会問題の一つでありSDGsの理念や、オードリー・タンさんが目指している社会が誰も置き去りにしない社会であるように今後の課題として注目すべきものです。

さて話を日本人の幸福度に戻しましょう。

世界価値観調査の幸福度の日本のスコアも同期間で大きく伸びています。

1981年から1984年ここから2010年の間に三つの大きな変化が起きています。

1つ目がとても幸福と答えた人が15%から32%へと倍以上に増えていること。

2つ目がやや幸福と、とても幸福を合計した数値は77%から86%へと増えているということ。

3つ目が幸福ではない、全く幸福ではないを合計した数値が16%から10%へと減少していること。

要するに総じて幸福だと感じる人がとても増え、総じて不幸だと感じる人が減ったということです。

しかし、この調査結果を聞いて不思議に思う人もいるのではないでしょうか。

1981年から1984年といえば日本経済は長期の前夜にあたる時期です。この時期以降、日本経済は1989年のバブル経済の頂上へ向けて駆け上っていくことになります。

そのような経済的に勢いのあった時期の幸福度や満足度のスコアが経済的に停滞した今のスコアより明確に低い、このことを私たちはどのように解釈すればいいんでしょうか。

過去30年にわたって経済は前半に低調に推移しているのに生活満足度や幸福度は大きく改善しているという事実、この事実が私たちに教えてくれることは何でしょうか。

それは経済をこれ以上成長させることにもはや大きな意味はないんだよっていうことなんですね。

私たちは長年にわたる経済的成長の末に生存のための物質的基本条件の獲得という人類が長いこと望んでいた夢を実現し、今や大多数の人が総じて幸福だと言える社会、おそらくはかつての人々がユートピアとして無双したのに近い社会を築き上げました。

すでに私たちのほとんどは過去の人が思い描いた食べ物に困らず、住む場所に困らず、安全で快適な暮らしを送ることができるそんな理想郷で生活しているんです。

しかし、そんな快適な暮らしを送っているにも関わらず私たちは何か物足りなさを感じ、日本の再生や日本の最高といった威勢の良い掛け声とともに世界に向けて経済的存在感を示していたかつての極意を取り戻したいという国家主義的なノスタルジーに囚われてしまっているのかもしれません。

そのような主張は経済的覇権で国の序列が決まるんだという昔ながらの価値観に縛られた考え方と呼べるのではないでしょうか。

しかし、実際はすでに経済的覇権を競い合うフェーズは終わり、いかに人類全体が共生し、幸せになっていくかを考える段階に来ている。

この認識はこれからの社会を生きていく上でとても大切なものになります。

私たちの社会が依然として看過できない様々な問題を抱えていることは確かですが、ここまで確認してきた満足度・幸福度などのデータは私たちの社会が着実に明るく開けた幸福の高原へと近づいているんだってことを示してくれているんです。

私たちの社会は停滞の暗い谷間へと向かっているのではなく、成熟の明るい高原へと向かっている。

その立場に立って考えるならばビジネスはもうその歴史的使命を終えていると言えるのではないでしょうか。

パナソニックの創業者である松下幸之助は松下電器の創業にあたり、ビジネスの使命、生産者の使命を「生活物資を無尽蔵に提供して貧を除くことだ」と宣言しています。

ということは、8割から9割の人々が物質的に満足してしまっている現在の日本においてパナソニックはその社会的使命を達成し終えたということもできるかもしれません。

これは何も日本に限った状況ではありません。

様々な統計データが示す通り21世紀の先進国に生きる人々の大多数は既に物質的な不満を抱えずに生きることができるようになっているんです。

その必然的な結果として消費の非物質化とでも表現するべき変化が起きています。

経済成長と所得上昇が何よりも優先された近代社会から生活の質や幸福実感がより優先されるポスト近代社会へと私たちは移行しつつあるんです。

これは私たちの日常でも実感できるのではないでしょうか。

たとえば昔はカラーテレビ、クーラー、自動車がさらに前は白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器として扱われていました。

これらは豊かさや憧れの象徴であり、こういった生活を豊かにするものにお金を使う。そのために仕事をがんばり所得を上げる、それが当然だったんです。

しかし、今はほとんどの家庭にテレビはありエアコンもあります。

さらには皆が1人1人スマホを持ち、何不自由ない暮らしができているんです。

このように物質的欲求に関する不満の解消を果たした私たちは消費の対象として生活必需品ではないものや、承認欲求の為にお金を使うようになっているんです。

本来であればもうお金を使う必要が無いほどに豊かな生活ができている私たちがお金を使ってしまうのはなぜか、それが企業の行っているマーケティングにあるんです。

そもそも国民のほとんどに生活必需品が行き渡っていない状態であなたがその生活必需品を売ればマーケティングをする必要もなく商品は売れていくんです。

しかし、今のこの物質的欲求に関する不満が解消されてしまった世界で何もしなくても商品が売れていくということはありえません。

物質的欲求に関する不満の解消はそのまま市場における需要の縮小を意味しますからビジネスにとっては大変困った事が起きていると言えるんです。

本来であれば物質的欲求に関する不満の解消は素晴らしいことで、ビジネスはそれを目指すものだった。

しかし、この物質的欲求による不満の解消が果たされてしまったのと同時に初めてはその存在意義を失ってしまった。

そこで歴史的使命が既に終了しているにも関わらず、あたかもそれを終了していないかのように振舞って、いらぬ混乱を世の中に巻き起こしてなんとか凌いで終了の延命を測っている。

それがマーケティングなんです。

本来であれば需要がなかったところに需要を作り出す。

消費者が気がついていない不満を炙り出して解消する。ビジネス書を読むとよくこういった類のことが書いてありますが、結局無理やり不満を作り出して解消することによってしかビジネスは延命できなくなっているんです。

実際1970年代において広告代理店の電通でマーケティング戦略立案のために用いられていた戦略十訓は次の内容で構成されています。

 

  1. もっと使わせろ
  2. 捨てさせろ
  3. 無駄使いさせろ
  4. 季節を忘れさせろ
  5. 贈り物をさせろ
  6. 組み合わせで買わせろ
  7. きっかけを投じろ
  8. 流行遅れにさせろ
  9. 安く買わせろ
  10. 混乱をつくり出せ

 

確かにこれらのことが出来れば需要の飽和は先送りにできるかもしれません。

しかし、これでは私たちの生活が豊かになるとか幸福のなると言ったことにはつながらないんですよね。

そして本当に問題なのはここからです。

このビジネスが欺瞞によって成り立ってしまっているという構造に多くの人が気がついてきているということ。

そして、その意味も意義も感じられない営みに駆り立てられて高い目標を達成せよ、と圧力をかけられた人は精神的に壊れて行ってしまっているということです。

戦後復興期の日本人には私たち一人ひとりの仕事が国を豊かにしていくんだ、私たちが支えているのだ、という思いがありましたが、今の皆さんの仕事に意味や意義ありますでしょうか。

自分がしている日々の生活に意義が見出せなくなったとき人は生きていくことができなくなってしまうんです。

WHOは2017年全世界的に増加傾向にあるうつ病が21世紀中に先進国で最も深刻な疾患の一つになる可能性を警告しました。

私たち人間は意味をエネルギーにして生きているので、意味も意義も感じられない営みに携わって生きることはできません。

私たちの社会が今後大きな危機を迎えることになるのだとすればそれは経済的な衰退や物質的な不足などではなく、間違いなく意味の喪失という問題によって引き起こされることになるでしょう。

物質的不足を解消するという目標を達成してしまった今、その価値観自体が失われてしまったんです。

だからこそ私たちは新たな価値観を真剣に考える時期にきているといえるのです。

まとめ
  1. 私たちの社会は古代以来、常に物質的貧困という問題に苛まれ続けてきたわけですが大多数の人々にとってその問題が既に解消されている。
  2. 過去30年にわたって経済は全般に低調に推移しているのに生活満足度や幸福度は大きく改善している。
  3. すでに経済成長が私たちを幸せにしてくれるというフェーズは終了しており、新たな価値観を模索する時代に突入している。

意味の喪失という問題は、有名な19世紀の哲学者ニーチェによって既に予言されていました。

ニーチェは近代化によって物質的豊かさを獲得した人々が意味の喪失という状況に陥ることを当時から既に予言していたんです。

物質的豊かさが増していく一方で科学の勃興によって宗教という規範の解体が進んでいく。

その世界において人々が意味の喪失という重大な病に侵される。

当時のニーチェを取り巻く世界であれば神のために生きるという意味が失われるということでしょうが、今の私たちに置き換えると国の復興のためにとか、家族の生活のために、といったものが失われつつあるということでしょう。

私たちは一体何のために生きているのか、何のために仕事をするのか。

人間が人間らしく生きるとはどういうことか

人間が人間らしく生きるとはどういうことか、何のために人は生きるのか、これから先私たちは何を目指して進んでいけばいいのか、というテーマで話を進めていきましょう。

まずGDPというよくニュースで耳にする数値に潜む罠を一旦ここで見ておきましょう。

皆さんGDPが大きい国と呼ばれるとどんなイメージがありますか、なんとなくですが大国のようなイメージであるとか、栄えている国、といったイメージをお持ちではないでしょうか。

GDPは国内総生産のことで国内で生産されたモノやサービスの総額で経済の規模を表すものさしとなっています。

つまり、GDPが大きい国は経済の規模がそれだけ大きく、国として繁栄していることを表しています。

と、習ってきたと思いますが、本当にそうでしょうか。

そもそもGDPは100年ほど前のアメリカで世界恐慌の影響を受けて日に日におかしなことになっていく社会経済の状況を全体として把握するという目的のために開発されたものです。

当時のアメリカの大統領をハーバートフーバーには大恐慌何とかするというタイミングがありましたが、手元にある数字は株価や鉄などの産業財の価格といった断片的な数字だけで政策立案の立脚点となるようなデータが未整備だったのです。

議会はこの状況に対応するためにアメリカは今どのくらい多くのものを作ることができるか、という論点について調査を依頼します。

数年後議会に提出された報告書には現在の私たちがGDPと呼ぶようになる概念の基本形が提示されていました。

つまり、計りたい問題が先にあった上で測るための指標が後で導入されたということです。

この計りたい問題が先にあった上で測るための指標が後で導入されたというのは非常に重要なことです。

100年も前のアメリカで社会経済の状況を全体として把握するという目的の為に作られたGDPという指標が今停滞しているからといって一体何なのでしょうか。

GDPという数値を上げることを求めて一体何になるのでしょうか。

どのくらい多くのものを作ることができるかという測定は当時は確かに意味があったのかもしれません。

しかし、前述で説明したとおり少なくとも先進国においてはこの物質的な不足という問題はすでに解決されてしまっています。

既に物質が行き渡った社会においてどれだけのものを作り出したのかという指標を高い水準に保とうとすれば、それは必然的に浪費や取捨を促進し、物をたくさん捨てることが美徳として生産される社会を生み出すことにつながります。

そのような社会を私たちは本当に望んでいるのでしょうか。

10年ほど前に中国にGDPで抜かれてしまったというニュースが話題になりました。

しかし、抜かれたからといって抜き返す必要などないのかもしれません。どれだけのものを作り出したのかで国力を図る時代はもう終わったのです。

それでは私たちはこれから何を目標に何のために生きていけばいいのでしょうか。

世界経済フォーラムは2021年1月に開催される年次総会のテーマをザ・グレート リセットにすると発表しました。

世界経済フォーラムを創設したクラウス・シュワブ会長はこのリセットが意味するものについて次のように答えています。

「世界の社会経済システムを考え直さないといけない。第二次世界対戦後から続くシステムは異なる立場の人を包み込めず、環境破壊も引き起こしている。持続性に乏しく、もはや時代遅れとなった。人々の幸福を中心とした経済に考え直すべきだ。」

第二次世界対戦後から続くシステムとは無限の成長を前提とするシステムのことです。

しかし、現在の私たちはもう気付いているように世界経済全体が無限に成長していくことなんてあり得ず、成長は必ず停滞・衰退を迎えます

成長こそが目的だと捉えひたすらのめり込んでいくことは環境破壊すら引き起こし、人を幸せにするものとは言えないのです。

私たちの社会が今向かっているのは停滞の暗い谷間などではなく明るく風通しの良い高原なのだ。

それこそが人々の幸福を中心とした経済なのだ、という考え方を持つことが大切なのです。

シュワブは記者の「リセット後の資本主義はどうなりますか?」という質問に対し、

「資本主義という表現はもはや適切ではない。金融緩和でマネーが溢れ、資本の意味は薄れた。今や成功を導くのはイノベーションを起こす起業家精神や才能でむしろ、才能主義と呼びたい」と述べました。

様々な書籍でも述べられていることですが、今まさに資本主義からの脱却が行われているのかもしれません。

資本主義というのは資本は無限に増殖するということを信じて奉るという一種の信仰です。

資本がもはや過剰になり増殖できなくなった以上、この信仰はもはや維持できなくなったとシュワバは言っているわけです。

なぜ資本は無限に増殖するということを信じることができなくなってしまったのでしょうか。

それは先進国の金利がほとんどゼロに近い水準まで落ち込んでしまったということからわかります。

例えば、銀行の預金金利がプラスでありずっとお金を預けていればお金は無限に増えていきますよね。

なぜただお金を預けているだけでお金が増えていくのか、それは社会が時間を経ることで上昇、成長、拡大するという期待があるからです。

時間によって資本の価値が増殖するということを私たちの社会は前提にして構築されているわけです。

ここで金利がゼロに近づいているということはどういうことを意味するのでしょうか。

お金を預けていてもお金が増えることはない、つまり社会が時間を経ることで上昇、成長、拡大するという機体がもうすでにないということを意味しているのです。

時間によって資本の価値が増殖するという前提が崩れされば資本は無限に増殖するという資本主義の根本を信じることができなくなります。

今まさに私たちはそんな世界の中に入っているのです。

だからこそ資本主義の根底が揺らいでいる今、資本主義を、そして経済成長を進行し続けるというのは神が死んだ世界で神を信仰し続けるのと何ら変わりないのかもしれません。

経済発展のために私たち人間が持っている個性や才能を投じるという考え方はもうすでに時代錯誤になりつつあるのです。

シュワブが語る資本主義から才能主義への転換というのは経済発展だけをいたずらに目指すのではなく、より良い社会の実現のために私たち人間の持っている才能や時間という資源を投入するべきだというアイデアなのです。

より良い社会とは何なのか、そこを真剣に考えることがまず私たちがするべき最初の課題と言えます。

真に問題なのは経済成長しないということではなく、経済以外の何を成長させればいいのかわからないという社会構想力の貧しさであり、更に言えば経済成長しない状態を豊かに生きることができないという私たちの心の貧しさなのです。

私たちは何のために生きるのかという目標、価値観を新たに見つけることこれこそが今私たちが生きている意味と言えるのかもしれません。

まとめ
  1. GDPは、100年ほど前のアメリカで作られた。どれくらい多くのものを作ることができるか、という指標であり、既に物質が行き渡った社会においてどれだけのものを作り出したのかという指標を追い求めることに何の意味があるのかを考えなくてはならない。
  2. 時間によって資本の価値が増殖するという前提が崩れつつある今、私たちは資本主義を見つめ直す必要がある。
  3. 真に問題なのは経済成長しない状態を豊かに生きることができないという私たちの心の貧しさである。

私たち個人の価値観はもちろん社会全体としての価値観を考えることが今まさに必要とされていることなのかもしれません。

経済合理性では解決できない問題

経済合理性では解決できない問題について見ていきましょう。

あなたが事業を始めるとして需要が多く費用がかからない問題と、需要が少なく費用がかかる問題、どちらを解決するような事業を始めるでしょうか。

多くの人は需要が多く費用がかからない問題を選ぶと思います。

お金を稼ぐ必要がある以上、問題解決にかかるための費用と問題解決で売られる利益が均衡するような限界ライン、つまり採算が合うラインというものが存在し費用の方が大きくかかってしまうような問題には誰も取り組むことがないという状況が出来上がってしまいます。

普遍性の低い問題、あるいは難易度が高い問題については未着手のまま放置されてしまう。

ここに市場原理主義の限界があります。

例えば、これまで安全で快適に生きるための物質的基盤の整備はほぼ完了した、ほぼ終了したと語ってきましたが、ここでわざわざ「ほぼ」という副詞を用いたのは取り残された人たちが存在しているからなんです。

国立社会保障人口問題研究所による2017年の調査によれば過去1年以内に経済的理由で食品が購入できず困窮した経験を持つ世帯は13.6%となっています。

毎日の食事というのはまさに最優先されるべき物質的基盤ですが、そのような欲求を経済的理由で充足できない状況にある人々がいるのです。

子供の貧困という問題についても同様です。

現在わが国の子どもの貧困率がOECD諸国で最悪の数値となっており、さらに明確な悪化トレンドにあることをご存知でしょうか。

子供の相対的貧困率は1985年の10.9%から2015年には13.9%へと悪化しているんです。

また、罹患する人が極めて少ない希少な病気。希少疾病という問題もまた普遍性の低い問題であり、このような問題に取り組んでも株主が喜ぶような大きな売上や利益は期待できない可能性が高く、市場原理主義の立場ではこういった問題に取り組む企業は出てきません。

このように置き去りの人々が出てきてしまうことが資本主義の最大の問題点と言えるのではないでしょうか。

経済合理性だけに頼ったのでは解決することのできない問題がずっと残存し続けているこの現状から目を背けてはならないのです。サン=テグジュペリは、人間の条件として「おのれに関わりのないと思われていたある悲惨さを前にして恥を知る」ということをあげています。

もし、私たちが経済合理性を理由にして社会に残存する格差や貧困、虐待といった人の差を放棄せざるを得ないのだとすれば、もはや私たちは人間性を備えた存在たりえないと言っているのです。

これから先、私たちは金銭的報酬を超えた価値観を身につける必要があるのです。

それは衝動といってもいいでしょう。衝動とは、つまりそうせざるにはいられないという強い気持ちのことです。

損得計算を勘定に入れればやってられないよ、という問題を解決するために経済合理性を超えた衝動が必要になります。

現在の世界が抱えている根深い問題の多くはそのような衝動によって自己を駆動する人によってしか解決することができません。

自分が損したって助けたい人を助けるんだ、という思いがなければこれらの問題は解決していかないのです。

しかし、そうは言っても自分の生活を犠牲にして人助けができるような人は多くはありません。

心の中では助けたいと思っていても自分の生活すら思うようにいかない状況では助けることなんてできません。

だからこそ、社会はそういった衝動に突き動かされた人々の生活を守り、活動を促進するためにベーシックインカムのような経済てセキュリティネットの実装を行う必要も出てきます。

改めて誰も置き去りにしない社会を作るために私たちはこれから先どう生きていくべきかを問われる時代に今まさに生きているんだという認識を持って、これから先日々の生活と向き合っていく必要があります。

まとめ
  1. 市場原理主義の問題点として「は普遍性の低い問題」あるいは「難易度の高い問題」については未着手のまま放置されることが挙げられる。
  2. 経済合理性では解決できない問題を解決するのは助けたいと思う人の「衝動」である。
  3. 衝動に突き動かされた人々の生活を守る活動を促進するためにベーシック・インカムのような経済的セキュリティネットの実装を行う必要も出てくる。

 

多くの人が何不自由なく生活できるようになった社会の中で取り残された人たちについて考える。

人類全体が誰一人欠けることなく幸福になれる。

そんな社会を作っていく、夢物語に思えるようなそんな社会を今まさに私たちは作ることができるところまで来ているのかもしれません。

誰かを置き去りにするような社会を作ってきたのは世界のどこかの誰かではなく、紛れもない私たちなのです。

そして、それを解消するのもまた私達であるということを肝に銘じこれから先生きていきましょう。

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