あまり私のことを知らない。
なぜかと言うと隠居しているからだ。私は二十代で世を諦めあんまり働かなくなり、今やほとんど人と関わっていない。
ITや株で儲けてアーリーリタイアとかいう、経済的に恵まれた話ではない。宝くじの当選していなければ、親の資産もない、でもちゃんと生きてます。
今回は大原扁理さんの"年収90万円で東京ハッピーライフ"を解説していきたいと思います。
この本の著者である大原さんは愛知県の出身、現在東京で適度に社会と距離を置き、週に2日ほど介護の仕事をし、たまに友達とも会ったりして楽しくのんびりとした生活をされています。
週休5日制でございます。20歳で世を諦めて隠居、そしてのんびりと幸せに暮らしている。
- なぜその若さで隠居しようと思ったか?
- なぜ週休5日年収90万円で楽しくのんびりと東京で暮らせているのか?
最初にこの答えをお伝えしてしまおうと思います。
著者は隠居しようと思ってしたのではないそうです。ありのままの自分で平和に生きることができる世界を求めて、やりたくないことを排除していった結果、最も彼に合う生活スタイルとして行き着いたところが隠居だったんです。
週休5日にしたのはあまり働きたくなかったから、あまり働かなくても生きられるにはどうしたらいいのか。人間関係・職場・食事・住まい・お金の使い方など全てを見直し工夫されております。
その結果、食費は月に9,000円、家賃は28,000円と生活費を抑えながらも不便はなく健康的で幸せな東京ハッピーライフが成立しているのだそうです。
本社には窮屈な社会を生きる、悩める人々に対してもう少し肩の力を抜いて楽に生きるためのヒントが散りばめられております。
私はその部分を皆様に知っていただきたいと思いました。今の世の中には成功しないと駄目だ金持ちにならないといけないといった風潮があります。
そういった風潮に対して息苦しさを感じている人もいるでしょう。世の中の常識や決まったシステムの中でいかに平和で自分らしく生きられるかぜひ著者の言葉を参考にしてみてください。触れたことのない価値観に触れてみてください。
進学や就職はしないと生きていけないのか
まず年収90万円で東京ハッピーライフ、という常識では考えられない生き方をしている著者がどういう人物なのかを簡単にご説明しておきましょう。
著書は平凡な低所得者層出身です。高校卒業後、進学や会社に就職する道は選びませんでした。私生活で他人と会うのを一切やめ生活費を稼ぐためのアルバイトだけはやり、それ以外の時間を趣味に注ぎ込み引きこもりの生活をしております。
そして、3年の月日が経った頃に普段人と話していないことで言葉が出なくなっていることに気付いて危機感を覚えて世界一周へと旅立ちます。
帰国後、上京し杉並区に住むも、物価、特に家賃の高さに驚嘆します。
生きるのにあまりお金がかからない場所を求めて東京の西武の多摩地区に引っ越し、忙しすぎる仕事を退職しました。
掛け持ちしていた仕事は調整しながらだんだん減らし、使うお金も工夫して減らし、そうしてだいたい20代半ばぐらいから現在のような週休5日ののんびりとした生活に落ち着いていきました。
そんな競争社会とは真逆の世界で生きている著者は、世の中の常識や誰もが経験する疑問や悩みに対して一体どのように考えているのでしょうか。
彼の見解や彼の思う幸せになる考え方について触れていき、昨今の世間の進学や就職へのプレッシャーは凄いですよね。世の中そうなってしまっているシステムの中で上手く立ち回れる人ばかりではありませんから自分の進路について悩み不安になっている学生さんがたくさんいらっしゃるかと思います。
学歴や今の仕事に自信が持てない方々もいらっしゃるでしょう。著者も学生の頃に昼食を前にどうしようかと悩んだこともあったそうです。当時はちょっと不安があったものの、ある時に無理やり選択をしなくて良かったと思ったのだそうです。
そして、今では次のようにおっしゃっています。
「進学とか就職ってせなあかんことないですよ。ぜーんぜん」
著者は高校を卒業すると周りの同級生のように進学したり会社に就職をせずにアルバイトをしながら趣味に没頭して引きこもり生活を選びました。
そして、10年以上がたった今彼はどうなっているのでしょうか。
自分に最も合う生活スタイルを確立、ちゃんと自立していて社会と距離を置いても収入が低くてもお金に困ることなく毎日幸せに暮らされております。
そんな著者の言葉に耳を傾けてみましょうか。
やりたい仕事なんて探したらあかん、そんな高いところに目標を設定したら自分がしんどすぎる。仕事に求めるのはできないことをしない、というぐらいで良い。だいたい進学や就活で辛いっていう時、自分が間違っているんじゃなくて世間が設定してくれ目標の方が間違っているのかもしれませんし、仕事に求めるのはできないことをしないというぐらいでいい。
好きなことなんかなくても、今すぐ見つけなくても、もっと言えば死ぬまで見つからなくたって別にいいじゃないですか、大事なのは嫌いなことで死なないことこれぐらい目標を下に置いておけばとりあえず絶望はしなくて済みます。
進学か就職か、さもなくば会社でも起こさないと生きていけないんじゃないか。そんな風に焦っている人へ進学や就職をしなくても社長になって一旗あげなくても意外と生きていけるもんですよ。
このように著者はできないことや嫌なことをしないぐらいで自分にOKを出すという感じになってからずいぶん楽になったとおっしゃいます。
定職につくことなく10年が経過しましたが、もし自分のやりたい仕事を探し続けていたら今でもつらかっただろうなあと思うそうです。
やりたいことが分からないから何を目指して進んだらいいのかわからない人も今の仕事が自分の適職なのかわからないという悩みがある人も焦って答えを出す必要はないと思いませんか。
学生さんは高校や大学ぐらいで確固たる適性が分からなくてもそれが普通だと思うので落ち込む必要はないと著者は言います。
目の前に分かれ道があった時、人間は自分が得意な匂いのする方を選んでいく生き物でどうにかそのようになっていくものです。なので安心して下さい、と言ってしまいたい。
けれども特に学校を卒業したぐらいの頃はそうもいかないですよね。わからないのにとても重大な決断をしなくてはいけません。
どうしても進まなきゃいけない道を決めなければいけないというとき、著者は消去法をお勧めされています。
人間やりたいことはわからなくてもやりたくないことだけは意外と迷わないものだからです。目の前にある選択肢からどれをやりたい彼はなくてやりたくないものからどんどん消去していくんです。
残ったものからこれならまぁ我慢できるかなというものを選ぶんです。
正解とかはありませんから完璧ではなくていいです。大切なのは好きなことで生きていくんじゃなくて、嫌なことで死なないことをそんなにハードルを高く設定しない方が後から絶望しなくて済むのだと著者は言うんです。
そう語る著者も30歳になっても未だに何がしたいのかよく分かっていないと言います。
遅れを取りたくないから急いで進まなくてはいけない、ということはありません。のちに絶望したり後悔しないためにも無理して選択をしないようにしましょう。
ラクな生き方とは?隠居はベストな生き方なのか?
著者のような、まったりとした隠居生活に憧れる人もいれば、そうでない方もいるでしょう。著者は隠居はベストな生き方になのか?という議題に対して、そんなわけはない。そういう風に生きるべきかというと大いに疑問であると答えています。
どのような生き方に幸せを感じるかは十人十色ですから自分に合った生き方にたどり着くためには自分にとって何が快適かを知っているかどうかが大切です。
著者は最初から勉強を目指していたわけでもなく嫌なものは拒否し続け快適なものを選んで、流れ着いた隠居というスタイルが楽しかったので続けているだけだそうです。
なんかよくわかんないけど隠居することになっちゃったし、まいっかくらいの感覚だとおっしゃっています。
そして、3年後にこのまま院長しているかどうかは分からないし、隠居よりも面白いことを見つけたら、そちらを選んでいるかもしれないとおっしゃいます。
そして、何がベストかという考え方からは出来るだけ離れていったほうが楽であるといいます。
そもそも疑問である。なぜ自分が選択した生き方が正しいか間違っているかなど人に言ったり、証明したり認めてもらわないといけないのか、人と比較し良い悪いとか正しい間違っているみたいな相対的で対立的な価値観は疲れやしないでしょうか。
間違っている何かがないと自分が正しい側に立てないというのはしんどくなってしまうと思います。
ですので、そういうのいちいち判断することからは徹底的に離れて「個である私は、わたしである」という感じを目指すようにしてみてはいかがでしょうか。
そうすると正しさにがんじがらめになっている現代社会の風潮から解放されて今よりも楽になれるはずでございます。
自分にとってのベストな生き方、つまり自分にとっての快適な生き方を知りたい人は外側に探しに行くのではなくて内側に開拓をしていく方が良いです。
自分が本当は何が好きなのかどういう暮らしを幸せと思えるのか、その答えは他からは転がり込んでは来ないんです。しかし、ずっと自分と向き合うのは疲れます。
途中でどうしてもめんどくさくになってしまって、流行りに乗っかっておけばOKということにしたくなるのが私達でございます。そこを踏ん張って嫌になるほど向き合って自分を掘り下げていくんです。
そして、一旦自分の源流みたいなものを見つけたら迷わなくなりますし、外野がなんと言おうがその先に自分にとってベストな生き方があるはずなんです。
ハッピー思考術
本書には年収が低くても、やりたいことをやらなくても、ハッピーに生きることができる著者オリジナルのハッピー思考術が9個紹介されております。今回はそのなかから5つ紹介します。
心と体のチューニング
著者は以前、体調を崩すほど環境が悪い職場で働いていたことがありました。
あまりの忙しさに心が何も感じなくなるまで耐えたあげく、限界が来て出勤の日になると急に蕁麻疹が出てしまうようになります。
社会とのつながりを断たれるのではと頭に血がつきながらも著者はそのバイトを辞めるんです。いざ辛い場所から飛び出したらそこは孤立無援の冷たい世界ではありませんでした。
自分で選んだ人と関わりながら生きて入れるところで案外まったりしている。その時やっと自分の心と体のバランスを探すスタート地点に立てたそうです。
そして、それからは暇になると体調の変化によく気が付くのだそうです。驚いたのは忙しくないからといって放っておいたらどうなるのか、というとやはりそれはそれで心の声が聞こえなくなる、ということを常に自分の心にチューニングするのは結構難しいことです。
暇だと心は元気というわけでもないんです。
のんびりと過ごしていても気持ちが外に向きすぎていたりせっかくだから何かしなきゃみたいなモードになっていると本当の自分からすぐに疲れてしまう。
また、心と体のバランスはいつでも知性と微調整が必要なもので一人でいる時間が増えても上達したり熟練したりすることはないようです。
自分とのズレを修正するための一番の方法は著者曰く、とにかくぼーっとすることだそうです。
何もしないこと、何も考えないこと、何も知らなくていいし、何にも答えようとしなくていい時間を30分でもいいから作るんです。
公園で何も考えずに日向ぼっこをしたり、雨の日はアパートの床に大の字になって雨音を聞いたり、日により差はあるんですが、1時間ですっきりすることもあれば3日ぐらい寝て何もしないこともあるそうです。
ネットも繋がず、本も読まず、テレビも見ない方がいいでしょう。それでひたすらぼーっとするんです。
何もしないと人間は自分と向き合っていきます。自分をしんどくしていた小さなことの積み重ねに気づいてきちんとリセットされていきます。さらにもっと何も考えないところまで行けるとバッチリです。だんだん自分と世界との境界がなくなっていくような感覚、自分がここにいるような、いないような不思議な感じです。
何も聞こえなくなって時間の感覚も、場所の感覚も無くなる、そうすると全ての事がいい意味でどうでもよくなる。宇宙のチリみたいに大したことじゃないように感じる。ここまでくればもう大丈夫です。
そしてまた、現実に戻った時シンプルな頭になっています。
お金とうまくやっていくために
著者は年収が低くてもお金に困ったことがないと言います。それは著者とお金の関係が友好的であることも理由の一つなのかもしれません。著者は次のように言います。
皆さん最近、お金をどう思います?
「私はお金ってちょっと可愛いと思うんです。だって、外貨を含めたらいったい世の中にどんだけのお金があるのか知りませんけど、その途方もない量の中からこのお金たちはなんで私のところに来てくれたんだろうって思うとかわいくないですか。」
お金の立場になってみるとよくわかります。いま地球の人口が約73億人とか言われていますよね。
そうすると73億人のなかから誰の所に行くのか。私を選んでわざわざ来てくれたって、なんかありがたいことだなと。せっかく家の財布にお越し頂いたんだから絶対に無下にはできないと思う。著書は隠居してから遊びの一環でいろんなものを人格化して考えるようになりました。
例えば、私がお水だったら大切に使われたいとか、私が野菜だったら最後まで食べ切って欲しいとか、私が家だったら綺麗に長く住まれたいとか、
そして、これがお金の場合、自分がお金だったらどういう風に扱われたいか、どういう人の所に行きたいかと考えるようになったそうです。
著者はこう続きますかと言って自分がお金に大人気かと言ったらそんなことはないが、悪く思われてはいないという自信はある。
お金を持っているのとお金に好かれているのでは違うような気がすると。著者が上京してきたばかりの頃働きまくって稼いだお金の大半が生活費と税金に消えていきました。
税金を払う時も買い物をする時もどこか殺伐とした気持ちでお金を使っていました。あの時自分のところに来てくれたお金には申し訳なかったと著者は思います。
そのような思いがあるため、今はどうすれば自分だけではなく一人でも多くの人が喜んでくれるかを一生懸命考えて大事に大事にお金を使っているそうです。
そうすると不思議なことにお金が必要になった際にタイミングよく知り合いに必要な金額ほどの仕事を頼まれたりすることが度重なるようになりました。
それはまるで著者の知らないところでお金たちが相談して必要な分だけこっちに来てくれているような感じだったそうです。
今の著者にとってお金は困った時には助けてくれる、ありがたい友達のような存在。自分の元へ来るか来ないかは全てお金の意思に任せています。
著者にできることはこの人の所に行きたい、この人ならお金を大切に使ってくれるとお金に思われる人になるよう努力することだけだそうです。
またこの人の元へ戻ってきたいなぁと、思ってもらえるような気持ちの良いお金の使い方ができるように私も意識していきたいと思いました。ちなみに著者はお金が必要ないとは全く思っていません。
あればあったで便利だし、もっとあっても全然構わないと言います。何かあった時のためにある程度持っておくだけで安心して隠居生活が送れているのは間違いないとおっしゃっています。
ただ、お金に全ての信頼を置いてしまうのもバランスが悪いです。何かあった時の解決法はお金だけなく、複数あるに越したことはないですよね。
例えば、自分の周りにいる人間、友人たちや家族を大切にしましょう。例え、家がなくなったとしてもみんなで少しずつ助け合って生きていける関係。もちろん自分がもらうだけではなく、普段から困った時にちょっとずつ助け合うみたいな関係を作っておくのが重要です。
現金・貯金・時間・仕事・友人・地域コミュニティ・家族・住む所・畑・自分の才能など得意分野は多めに。これぐらい持っていたらいざ仕事がなくなった時でもいきなり路頭に迷うことはないでしょう。
著者が貯金するにあたって気をつけているのはあまり先のことを見過ぎないことだそうです。老後なんて生きているかどうかも分からない数10年先のことまで心配しないことです。
明日、世界が終わってもいいように好きなことを中心にしていきつつ、明日世界が終わらなかった時のためにちょっと準備しておく、それでもし自分の持っているもので解決できないことが起こったら今まで好きなことをしてきたんだから諦めもつくんだと言います。それで死んじゃったら大往生だし、生きていればラッキー。
これぐらいのバランスだと毎日が超快適だそうです。
夢や目標はないとダメなのか
「俺は夢も目標もないダメな人間なんだ」
と寂しそうにこぼす人がいます。果たしてそれは本当でしょうか。夢や目標がないのは良くないことなんでしょうか。
著者は今まで夢や目標人生設計の類をあまり持ったことがないそうです。正確に言うと、例えば今月中に温泉に行きたいなとか、短期的な夢ならばあるんですが5年後や10年後にどうなっていたいか、というビジョンが全くないそうです。
というのもそこは未知数にしといた方が楽しいのだそうです。そして、さらに著者は続けます。
30年生きてみてわかったことは人間が頭で思いつくことなんて結局は大したことはないということ。未来なんて嫌でもやってくるんだから、目標とか立てずに適度にほっておくというのも一つの手ではないかぐらいはオープンチケットということにして、行き先も機嫌も決めておかないで夢にも思わない面白いことをワクワクしながら待つのもオツであると。
夢がある人を羨み自分にはないことを悲観するんじゃなくて、結果は神のみぞ知る乞うご期待!として生きるほうが確かに楽しいですよね。
著者は夢や目標を持ちましょう派に否定的ではありませんが、一つ思うことがあるそうです。それは夢や目標は持ち主と一緒に絶え間なく変化し成長していくのではないか、ということ。
例えば、自分の気持ちや環境は常に変わっていくのに5年前の目標にしがみついて帳尻を合わせるためによく分からなくなってしまっている人がいるとしたら、それはもったいない気がします。
特にやる気のある真面目な人に多いかもしれません。そんな人はとりあえず自分を褒めてあげて、次の段階にいってみてはいかがでしょうか。
ところで著者は上京することや世界一周することを周囲に話したそうです。すると「行ってどうするの?」とか「将来何がしたいの?」と、ものすごく聞かれたそうです。
その時、考え直して世界一周も状況もしなかったら隠居もしていないし、本も書いていなかった。周りの意見を無視して本当に良かったと思うそうです。自分が決めたことなら諦められるが、人に言われて諦めたなんて死んでも死にきれません。
興味のある事を色々やってみて、万が一、結果がついてこなくてもあの時自分のしたいことが出来たって思うだけで、「今日も元気だ」、「ご飯がうまい」、そう思えることがガチで私の財産。夢や目標がなくてもこれで良いのだ。これが最終的な勝者の答えです。
将来について
著者は今の生活をしていて「将来どうするの?」という質問をものすごくたくさんされるそうです。しかし、世間で言われている意味での将来(老後)についてはあんまり思うことはないと言います。
というより将来を考えた時に個人としてできることは結局毎日をただシンプルにきちんと生きていくしかないと思うそうです。
地味で目立たなくて誰にも褒められない、ごく普通のことを淡々とこなしていくこと。年収何億とか言う人が世間でもてはやされていても比べないこと。
それでも必ずズレてしまうことはあるので、自分に対するたゆまぬ観察と微調整を繰り返すこと。それで一日を無事に終えることができたら「今日も平穏無事に過ごせてありがとうございました」と感謝して眠ること。
そのような生活は「今しか見ていないじゃないか!」と言われるかもしれませんが、著者はこれを将来から逃げているとは全然思わないと言います。むしろ、逆である。
なぜなら将来のことを本気で考えていると、今この瞬間を大切に生きることにどうしても戻ってきてしまうからでございます。
毎日をただきちんと生きていると、今日のこの日に"今までのこと"も"将来のこと"も全部ちゃんと含まれている感じがするし、今日のことも大切にできていないのに将来を語るのは順番が違うような気がすると著者は言います。
毎日休みもなくアルバイトに明け暮れていた時代の著者は次のような感じだったそうです。帰省するお金もないほど余裕が無く、街で困っている人がいてもガン無視。人が困っていたって知ったこっちゃない自分で何とかしてください。あまりにも毎日が辛いと世界中で自分だけが特別みたいに思ってしまうことありますよね。
そして、このまま何年もこんな生活をするのかと考えたら、そのうちアホらしくなってしまった。そうした経験を経てたどり着いたのが今の隠居生活だそうです。昔とは打って変わって著者にとって最高に楽しい毎日となったんです。
自炊して掃除してきちんと生きているという実感があるし、困っている友人や他人がいたら自分の出来ることを出来る範囲で手伝えるようになった。ふと気がついたら以前のような収入はないし、人がうらやむものは何も持っていない。
でも、何かがあってアパートに住めなくなってもご飯が食べられなくなっても、ちょっとずつ助けを求められる友人達はいる。
昔と比べてどちらが良いかと言ったら著者は今の方が断然いいし、楽であると話します。さらに著者は続けます何より自分を嫌いにならずに済むのがありがたい。あんなに将来の方を向いて頑張って働いても何も残らなかったのに、自分も周りの人も大切にして目の前の日々を産まずたゆまずコツコツ生きていたら将来の不安どっかいっちゃった。
今に将来が含まれているってこんな感じだと思う。
生きること、死ぬこと
皆さんさんは死を恐れますか。
死ぬのは怖いという常識を著者はあまり信じられないそうです。死ぬというのは本来ただそれだけのことで、死んだことのない誰かが怖そうと後付した情報なのだから、本当にそうなのかはわからないと。
そもそもどんな感じなのか誰にも分からないことならば、わざわざネガティブに取らない方がハッピーでいられるんだと。
また、著者は自分が選んだ人間としか関わりませんし、テレビも持っていないそうです。死を怖いと思わないのは、あまり死ぬということの情報が入ってこないせいもあるかもしれないと言います。
ニュース番組などではそのような情報が毎日発信されて人々の不安を煽っていますよね。
それを受け取らずに進めば、より心平和に暮らせることは間違いなさそうです。そして、自分に合った生き方に落ち着き今が充実している状態であること。いつ死んでも悔いはないというぐらい、ハッピーな毎日ならば死に対するネガティブなイメージは薄れるかもしれません。
好きなように生きて、勝手に死ねたらもうそれは大往。むしろ喜んで欲しい。自分が生きているだけでちょっと笑えるって言うか、隠居しちゃっても笑える、本が売れちゃっても笑えるし、このまま死んじゃっても何か面白いみたいなところがあるんです。
あの世で自分にプってなっている気がする。可哀相がられるより最期まで笑ってもらえた方が嬉しいな、と著者は語ります。